
Mambo? Poa! (How are you? Cool!)
今年の2月下旬から3月下旬にかけての約1ヶ月強の間、Alphajiriでインターンとして活動していた霜倉チャールズ元気です!そういえば、ケニアの農村で1ヶ月働いて5kgのダイエットに成功したのですが、日本に戻りすでにリバウンドしました。
前回の記事では、僕がAlphajiriでのインターン活動を志望し、実際に参加することになるまでの経緯について記しました。今回は、日本で暮らす皆さんにはなかなか想像もつかないであろう、ケニアでの暮らしについてお伝えします! 皆さんがケニアで仕事をしたり、遊びに行ったり、住んだりする際の参考にしてくださいね!
〜人口〜
ケニアには42もの部族が居住しています! 部族といえば、大和民族、アイヌ、琉球、朝鮮系、中国系…それとEXILE TRIBEくらい?の日本人には想像がつきませんね(笑)。日本でも名が知られているのはやっぱりマサイ族でしょう。ケニアの国旗にも、マサイ族の盾と槍が描かれています。
しかし、実はマサイ族の人口割合は主要民族ランキングのトップ10にも入りません。一番多いのはキクユ族。初代大統領ジョモ・ケニヤッタはこの民族出身です。アルファジリの拠点がある町ミゴリでは、人口比で4位にランクするルオ族が多く居住しています。
〜言語〜
公用語はスワヒリ語と英語です。スワヒリ語は東アフリカの地域共通語と言ってよいと思います。ケニアは英国の植民地であったため、公教育を受けた国民はみな英語を話せます。
テレビや新聞といったメディア、街の看板、学校の教科書などはほとんど英語で、アフリカの言語がわからない外国人でも(英語さえわかれば)生活に大きく支障はありません。
そして各部族にはそれぞれ自分たちの言語があります。つまり、だいたいのケニア国民は自らの部族語、スワヒリ語、そして英語のトリリンガルなのです。学校を卒業しても英語が話せない!と言われる日本と大違いですね(笑)。
また、現地人同士の会話では、同じ部族間では部族語で、異なる部族間ではスワヒリ語で会話するので、英語と日本語しか話せない僕には、彼らの会話に入れないことがいつも苦痛でした(笑)。
〜衣服〜
基本的には日本人と大きくは変わらないと思います。強いていえば、ケニア国旗の柄のブレスレットとかアクセサリーを身につけている人がちらほらいました。日本で日の丸柄のブレスレットやアクセサリーを着けている人はあまり見られないですよね。ただ、ミゴリの農家さんたちが、ところどころ穴があいて破れている服を着ていたり、彼らが買い物で行くタウンに古着商の店が多く並んでいたりしていたので、新品の服を手に入れるのは現地人にとって簡単なことではないのかもしれません。
それでも、たとえ新品の衣服でなくとも、彼らはおしゃれでした。これは僕の独断と偏見であることを事前に断っておきますが(笑)、日本人のおしゃれって無難というか、落ち着いた色を選ぶ方が多いと思うんです。一方で、ケニア人たちはタウンに出かけるときや集会に参加するとき、教会へ行くときに思い思いのおしゃれを楽しんでいました。カラフルな柄のものが多く、鮮やかで活気がありました。
マサイ族の人々がマサイ布を纏っているのも見かけました! お馴染みの赤いチェック柄のものもあれば、黄・青・緑、いろんなバリエーションの布が着られていました。 みんなエレガントに着こなしていたので、僕も日本で着て流行らせよう!と思い立ちお土産に買ったのですが、いまだに着こなせていません(笑)。
カンガというスワヒリ語の言葉が添えられた布を着ている女性も多かったです。
〜食事〜
ケニア人の主食はウガリ。トウモロコシやキャッサバ、ミレット(トウジンビエ)などの粉をお湯で溶いて練って作ります! ネットで「味の無いオカラ」と評されていますが…確かに口当たりがパサパサしていたのは否めません。お米大好きなジャパニーズには食べ慣れないことは間違いありません!(笑)ケニア人のウガリ愛は半端なく、食堂でも家でも山盛りのウガリをナイフでめいめい好きな分だけ切って食べていました。
ウガリとともに、肉や魚、スクマという野菜を食べるのがケニアスタイル。
他にも、薄いクレープのようなパンのチャパティ、ひき肉と豆を入れた皮を揚げたスナックのサモサ、牛乳を混ぜた紅茶チャイなど…あれ?お気づきの方もいらっしゃると思いますが、全てインド料理やないか?!実はケニアの食生活にはインドなど南アジアからの移民の影響が色濃く根付いているのです。
あと、ポリッジという穀類を煮てお粥にしたものもケニア人は好んで飲んでいました。僕はお粥というよりはお汁粉?!に近いかなと思いました。農家さん宅へ行くとコップになみなみ注いで出してくれるのですが、半分までガンバッテ飲んで、ごちそうさましてました(笑) 。
〜住まい〜
農家の人々の多くが、木材と土壁、草葺きやトタンの屋根で造った家に住んでいました。 建築様式は色々あったのですが、共通していたのは、ゲストを招けるような大部屋のある建物があること、家畜を匿える小屋やスペースがあることでした。
照明はソーラーパネルを屋根に設置して発電。水道も通っていないので、最寄りの水が汲める場所で調達。ガスの代わりに焚き火で料理を作り、お風呂を沸かせます。
極めつけは「畑の中の露天風呂」。家屋の裏手に、トタンで三方を囲った風呂場があり、そこで桶に貯めた水を浴び体を洗うのです。ホームステイをしたとき、最初はマラリアを怖れて外では裸になりたくなかったのですが、2回目からどうでも良くなりました(笑)。
レンガで建てた家々も増えてきており、街中には、レンガを積み上げ焼いている光景がよく見られました。レンガ造りの家はpermanent house(意:耐久性のある家)と呼ばれ、これを建てるために貯金してるんだよ!とホームステイした農家さんが言っていました。
〜交通〜
現地の公共交通手段は、マタツという乗合バス(中古のトヨタのハイエースが一般的)やピキピキというバイクタクシー、都市間を移動する高速バスが一般的です。マタツ、狭い車内にお客さんを(たまにニワトリも)ギュウギュウ詰めにした上に、それはそれは猛スピードで走る! こちらは道路が二車線だけで、前の車両を追い越すときに反対車線に入るので、いつ対向車にぶつかるか気が気ではありませんでした。実際、マタツは事故が多いらしく、マタツの車内に事故の注意広告が貼られているくらいでした。
未舗装の道路は芳しくなく、バイクで運転手の後ろに座っているとお尻が幾度となく崩壊しそうになりました。 また、ちょうど雨季の時期にインターン活動していたこともあり、集中的な雨で道路がぐちゃぐちゃになる場面に多く遭遇しました。道路を走行するのが困難になるばかりでなく、路肩の溝にタイヤがはまって抜け出せなくなることもしばしば。日本みたいにJ○Fが駆けつけてきてくれることもなく、その場に居合わせた現地人同士で助け合いながら移動していました。
バイクも車も日本メーカーのものが多かったです。といっても新車は皆無で中古車ばかりでした。 道に突然ウシやニワトリが飛び出してきて轢いてしまいそうになるのも、日本にはないスリルでした(笑)。
〜経済〜
ケニア経済の大きな柱となっているのは、農業と農業関連産業、観光業です。農業品輸出としては、紅茶、コーヒー、切り花が大きなシェアを占めます。ケニアと言えばコーヒー、のイメージは日本でも一般的ですよね!
切り花は、オランダなどの欧州の市場にバラなどを輸出していて国内に温室があるのですが、僕もナイロビ近郊のナイバシャ湖畔にある大規模なバラの温室を見てビックリしました。
観光業ではサファリの存在が大きいです。だって、ガチサファリですよ。人工のサファリパークじゃないですよ。僕もインターン終了後に3つサファリを回って帰りました。野生の動物たちと雄大な自然に囲まれると、嗚呼ものすごく今アフリカを感じている…!!という気分になれました。
一方で、ITの発達も著しいケニア。実はケニア全土の携帯電話普及率は90%に達しているとも!ミゴリの農家さんたちもほとんど一家に一台(ガラケー)は持っていました。
そして、ケニアのモバイル最大手が提供しているモバイルバンキングサービス「M-PESA」。SMS機能を使って口座を作り、お金を送金したり引き出したりできるサービスです。小さな商店や食堂での決済もキャッシュレスで可能。アルファジリが農家さんとお金のやり取りをするときもM-PESA。これによって、銀行の利用が難しい貧困層の人々の金融サービスへのアクセスが可能になるという革命が起こったのです。 日本ではなかなかモバイルバンキングが普及しない中、ケニアはこの分野でモバイル先進国に近づいていくのでしょうか?!
また、ケニアは東アフリカの「シリコンサバンナ」とも呼ばれつつあり、世界のテクノロジー企業がどんどん集まってくるなか、IT産業のますますの発展が期待されています!
というわけで、ケニアでの生活をイメージしやすくなったでしょうか?? 次回の記事では、ケニアの生活状況を踏まえつつ、アルファジリでのインターン活動についてご報告します。 乞うご期待!
アルファジリ
ケニア農家の貧困問題解決に挑む インターンシップ募集
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