
みなさんは「適応障害」という病気を、ご存じでしょうか? 適応障害は、環境の変化がこころと身体にとって大きなストレスとなり、生活に支障が出る病気です。今この記事を書いているライターのクリスも、過去に2回適応障害にかかり通院をした経験があります。
今回はそんな「適応障害」の症状や原因、乗り越えかたについて、私の経験談をもとにお話します。
※本記事は2018年4月18日に『ボーダレス・ジャパン』のブログにて公開された記事を、再度内部のデータなどを調査、再編集し、2020年5月 13日に更新したものです。
そもそも適応障害とは?
適応障害とは、特定の状況やできごとが心身へのストレスとなり生活に支障が出る状態のことです。出る症状は人によって異なりますが、私の場合は「職場に行くことを考えるだけで吐き気が止まらない」「不安感にかられ仕事に集中できない」「とにかく気分が落ち込む」「眠れない」という生活の支障が出ました。
※写真はイメージです。Photo by セーレムさん on 写真AC
はじめて適応障害にかかった当時の私は、小学校の先生をしていました。仕事にはやりがいを感じていましたが、子どもたちへの指導はもちろん行事の準備や保護者や地域との連携など多岐にわたる業務、そして「自分で何でもできなければならない」という変なプレッシャーに押しつぶされてしまったようです。心への負担が爆発してしまい、適応障害という形で心身に影響が出たのだろうと、病院で診断を受けました。
さて、ここまで読んで「うつ病ではないのか」と思われたかたもいるかもしれません。確かにうつ病でも似たような症状があると思います。しかし、適応障害とうつ病には「ストレスを取り除いたときに、症状の改善が見られるか」という点で違いがあるのです。
適応障害は、ストレスを感じている環境から解放されれば、比較的短期間(6ヵ月が目安)で症状が改善するとされています。一方うつ病は、環境にかかわらずストレスを常に感じている状況が続く、脳の機能に異常が出ていることが大きな要因となる病気です。
ストレス環境と距離を置いて症状に改善の兆しが見えてくれば、そのこころの不調は「適応障害」かもしれません。
※写真はイメージです。Photo by セーレムさん on 写真AC
また私のストレスの原因を見て、「誰にだってある環境の変化ではないか」と思ったかたもいるのではないでしょうか。確かに、誰にでも環境の変化は起こりえます。しかしその環境の変化をストレスと感じるかどうかは、その人次第。だから自分の中のものさしだけで、その人が感じているつらさや耐えがたさは図れません。
何にストレスを感じるのかは、人それぞれで異なります。だからこそ、どんな人でも適応障害にかかる可能性はあると思うのです。
適応障害克服の第一歩は「家族に話せたこと」
今でこそ「適応障害はこういう症状が出ることもある」と話している私ですが、実はこの症状が出始めた当初は、適応障害という病名すら知りませんでした。
私は先述の症状が出ていたにもかかわらず、「一種の5月病みたいなものだろう」と自分の体から出ているアラートを見てみぬふり。しかしある日、母と夕食をとっているときに涙が止まらなくなってしまいました。翌朝はベッドから起き上がれず、職場へ休むと連絡。そのまま寝て過ごそうとしていた私に、母が「行くよ」と連れて行ってくれたのが心療内科でした。ここではじめて、適応障害を知ったのです。
※画像はイメージです。Photo by FineGraphics on 写真AC
私は自分の弱い部分を他人に見せるのが苦手なので、仕事がうまくいっていないことはもちろん、泣く姿を見せるなんてもってのほかだと思っていました。しかし身近な人にポロっと自分の弱い部分を出せたからこそ、自分のこころの不調に「環境の変化」が大きくかかわっていること、「休職」という選択肢をとってもいいことに気付けたのです。
この経験から私は、「家族に話せたことが適応障害を乗り越える第一歩だった」と思っています。
適応障害は風邪や腰痛と一緒
適応障害やうつ病などのこころの不調と聞くと、「心が弱い人がなるもの」だと思う人がいるかもしれません。適応障害にかかる前の私は、こう思っている人がいることに「全然社会の理解が追い付いてない」と思っていました。
しかし適応障害の診断を受けたときに私は、「私には関係のない病気だと思っていたのに……」と真っ先に思ったのです。社会の理解が追いついていないと思っていた私も、どこか心の中で適応障害を「心の弱い人がなる病気」だと思っていたのでしょう。
※画像はイメージです。Photo by FineGraphics on 写真AC
そんな「こころの不調を自分とは関係のない世界の話」だと思っていた私の適応障害治療が始まりました。その内容は、不眠を改善する薬の服用とカウンセリング。人に弱みを見せられない私にとって、カウンセリング治療は苦しい時間でした。治療がはじまったばかりのころは、先生の問いかけに対しどこか着飾った言葉で返答していたと思います。
しかし、プロはすごい! 私が何重にもつけた壁や鎧を、いともあっさりとはがしてくれたのです。私は通院するなかで、先生の問いかけにありのままの言葉で返せるようになりました。そして腰痛で整骨院にかかるときのように、風邪をひいて内科に行くように、心療内科に通えるようになったのです。
この経験をとおして、自分とは関係がないとすら思っていた「適応障害」というこころの不調も、風邪のようなの体の不調の一種だと捉えられるようになりました。
今、笑って「適応障害だった頃の私」を話せることが幸せ
私は、適応障害に悩んだ経験が自身の働き方や考え方を見直すいいきっかけにもなったと思っています。
先生を辞め転職した先では、休みの日に仕事をしなくなりました。オンとオフのメリハリをつけた結果、仕事にも趣味にも存分に打ち込めるように。
▲仕事とプライベートのメリハリがつけられるようになり、解き放たれていたころのクリス
また「自分で何でもできなければならない」という考え方を意識的にやめ、周りの人の助けを借りるようになりました。「自分で何もかもできる人なんていない」「これからできるようになる」と考えることが、自分への過度なプレッシャーと自己否定を和らげるコツなのだと学んだのです。
さらに今ライターをしている私ですが、以前はこのメディアの運営元であるボーダレス・ジャパンに入社し、「適応障害」を理由に4カ月で会社を辞めた経歴を持っています。このときに、自分なりに対策の仕方を身につけたつもりでも環境が変われば同じ症状が出る可能性もあることと、一度同じ症状を経験していれば自分が出すアラートに対しすぐに対処できることに気付けました。
▲もちろんボーダレス入社当初は、辞める気なんて毛頭なかった
もし環境の変化がこころに不調をきたすかもしれないと知らないままだったら、自分の弱い部分、改善したほうが楽に生きられる部分に気付かないまま生きてきたでしょう。だから私は、「適応障害」に苦しんだ経験があってよかったと思っています。今このように適応障害にかかった体験談を話している自分がいることが、なんだかうれしいのです。
「私には関係ない」こころの不調なんてない
こころの不調をこうやってオープンに話すことに、抵抗を感じる人もいると思います。当時のことを思い返すだけで胸が苦しいという人に、「体験談を話してみたら?」なんて言うつもりはありません。しかしその体験談は、もしかしたら今「適応障害」に悩んでいる人の心の支えになるかもしれないのです。
私は適応障害にかかったとき、「適応障害 治し方」などのワードで検索したり、ブログを書いて同じような悩みを持つ人と交流したりしていました。だから「苦しい思いに理解のある人が発信する克服情報」は、直接的な治療ではないにしろ、不調に悩む人の心のよりどころになるのではないかと思っています。
▲今「適応障害 治し方」で検索したらこんな感じ。昔はもっと個人ブログが上にあった。
もちろん適応障害の乗り越えかたは、一人ひとり異なります。すんなり病院に行ける人もいれば、私のように抵抗を感じる人もいるでしょう。そもそも、こころの不調とは無縁だと思って体からのサインを見逃している人も世の中には案外たくさんいると思っています。
でも私は声を大にして言いたいのです。
『「私には関係ない」こころの不調なんてない』と。
そして
『もっと気軽にこころの不調を話せる社会になったらいいな』と。
まずは、こころの不調が自分にも起こりえると考える——。この考えを持つだけで、自分はもちろん身近な人がこころの不調に悩むときがきたら、1番でなくとも理解者の1人になれるのではないかと、私は思います。
【参考】
みんなのメンタルヘルス総合サイト
内科・心療内科・精神科 元住吉こころみクリニック
執筆 / クリス
福岡在住のフリーライター。ボーダレス・ジャパンを4ヶ月で退職し、いまはパートナーとしてインタビューや執筆を手掛ける。愛猫“雛”をおなかに乗せソファに寝っ転がってアニメを見たりマンガを読んだりする時間が至福。仕事よりもこちらに時間を割きすぎる傾向があるが、やるべきことはやる。企業の採用コンテンツやブライダル、アニメなどのメディアでも執筆。