座右の銘
親しき仲にも礼儀あり
なぜこの仕事をするか
今の子供達に、これから生まれてくる子供達に、少しでも今より良い社会にして引き継ぎたいから。
わたしの履歴書
1989年、東京都葛飾区の柴又というTHE下町で生まれ育ちました。
4人姉弟の長女で、弟が3人いるのですが、初対面の方でも家族構成の話をすると比較的長女っぽいと言われることが多いです。(どのあたりが長女っぽいのかは自覚ありません)
性格としては特に小さい頃は負けず嫌いで、日常の小さなことでもとにかく負けることが嫌いでした。
また、今ではあまり信じてもらえないのですが(仲良くなるとずっと喋っているので)、すごく人見知りでクラス替え等も苦手でした。
年齢が上がるにつれ、様々な人達と会うことで新しく知り合う人と話すことが楽しいということに気づいてからはあまり人見知りもしなくなっていきました。
大学時代はテニスサークルでとにかく飲み会ばかりの日々でした。1口飲むだけでも全身真っ赤になり、頭が痛くなってぐったりする、と体質的に合わないのにいつか飲める様になる日がくるのではないかと無理をして飲んでいました。当たり前ですが、結果的には全く変わらなかったので、今では全く飲みません。もともとお喋りが好きなのでお酒を飲まなくとも、飲み会のテンションについていけることに気づいたのが社会人4年目位でした(遅い)。
そんな自堕落な生活をしていましたが、就職活動は真面目にやろう!と思ったところで、東日本大震災が起こり新卒採用を止める企業も多くありました。そんな中で内定をもらうにはどうすれば良いかと考え、自分が何をしたいのかということよりも、文系女子が(今ではこういう表現はとても嫌いなのですが)あまり志望しない様な会社にエントリーすれば良いのでは?というあざとい考えと、いつか結婚して子供を持っても仕事を持ち続けられる様に手に職を!という思いからITエンジニアを目指すことにし、なんと目論見通り内定をもらうことができました。
転職も一度しましたが、どちらも同じ様なSES企業だったので、転職自体は一度なのに色々な業界の方と仕事をすることができたのはとても良い経験になりました。

その後25歳で結婚、28歳で第一子出産、30歳で第二子出産と一見順風満帆な人生を歩んでおりました。実際には第一子が中々授からず通院したり、第二子が2ヶ月早く生まれてしまい、NICUに入ることになったりと様々なことが起こりました。
子供が生まれると産後のボロボロの体で赤ちゃんのお世話を24時間しなければならずてんてこまいな日々になると思うのですが、私の場合子供がNICUにいる間コロナ禍で面会もあまり出来ないということもあり、意外と時間には余裕があったのです。
ただ、母乳を届ける為に夜中も3時間おきに搾乳する日々で、夜中に起きると産後のホルモンバランスの乱れも相まってマイナスなことを考えることが増えていきました。子供の体のことを考えていくうちに、子供の将来のこと等思考がどんどん広がり、そこから周りの環境のことを考えたり調べたりする様になりました。
そこで気候危機について知ることとなり、子供達が大きくなった時に地球はどうなってしまっているのだろうとものすごく怖くなりました。今まで無知で無関心だった自分がすごく恥ずかしくなり、気候危機のことを考えると絶望的な気持ちにすらなっていたのですが、そう思っているだけではダメだと思い、「一度知ってしまったからには知らんぷりはできない!自分にできることをやっていこう!」と自分にできることを調べ、行動にうつす様になりました。
そんな中、育休を終え、仕事復帰をした際に中途採用の面接官を行うことになったのです。日々求職者さんと会ううちに、それぞれの背景を聞いていると色々な社会問題があることを実感しました。でもその問題を聞いても自分では何もできずモヤモヤとした気持ちのまま過ぎていきました。
また、できることを行動にうつすと言っても家事育児仕事をしながらだとできることは限られています。もちろん自分にできることはどんな小さなことでも実施することはとても重要だとは思っています。ですが、もっと直接的に社会問題を解決したいという気持ちが強くなり、どうしたらそれが可能になるか考えた時に、社会問題を解決することを仕事にすれば個人で行うよりもインパクトの大きいことができると思い至りました。そこでボーダレスの存在を知り、社会問題を解決することしかビジネスにしないという理念に強く共感し、どうにか一員になりたいと思う様になりました。
元々出産前にCRMの仕事に携わる機会が少しあり、次に転職するときにはCRMの仕事に就きたいなと思っていた為、JOGGOのWEBマーケティング職の求人を見つけた時には自分のやりたいことがどちらも叶えられる!と思い、エントリーした結果ご縁があり入社となりました。
女性だから、母だから、障害があるから等どんな理由があっても仕事を持つことを諦める人を一人でも減らすべく、誇りを持って仕事をする人を一人でも増やすべくこれから尽力していきます!