座右の銘

Innovate yourself, Innovate future

なぜこの仕事をするか

貧困の家庭に生まれた子でも、自分の努力次第で負の連鎖から抜け出し、夢をもち、生きていくことのできる社会を創るため。そして、それを私だけでなく社会全体で創っていきたいです。

わたしの履歴書

中村将人
1986年 妊活8年目に入った両親が子供をあきかけた頃、間一髪で誕生。
(母さん、父さん、頑張ってくれてありがとう!!)

それまでの苦労はなんだったのか、翌年、年子の妹誕生。妹は病弱で入退院を繰り返していたので、私は幼少期の多くの時間を祖父母のもとで過ごしました。私の専売特許“ 根拠のない自信 ”は、祖父の褒めて育てる溺愛教育法の賜物です。

小学校までヌクヌク甘えた環境で育った私ですが、やはり人生はそんな甘くない。
「モテそう!」という思春期の男子らしい健全な理由で入ったテニス部で根性を叩き直されます。“ デカイ ”だけである程度勝ててしまった私は県の強化選手に。厳しくて当たり前の強化練習を、田舎のヤンキー先生たちが行う。
そう、This is veryマズい。ミスすると飛び出す愛の鞭。その愛に萎縮しまた出るミス。完璧な負のスパイラル。何でミスすんだって言われても、あんたのせいだよ!とはもちろん言えないワケで、気合いオンリー!で、なんとかプレッシャーに打ち勝とうと頑張る日々。しかし、そんな環境を耐え抜いたおかげで、私は精神的にだいぶ鍛えられました。結果も関東3位と健闘。あんなにキライだった先生たちとも最後は「ありがとうございました!先生のおかげです」と涙でハグ。単純さも父親譲りの専売特許です。ここで培った気合い論はもちろん今ビジネスの場でも活きています。

高校では、小牧幹という異彩を放つ美術の教師に出逢い、美術・文学に傾倒。
「知識ばかりじゃダメだ!美しいもの・本物を見て、もっと人生を豊かに生きろ。映画館は日比谷、車はaudiだ!」という
先生の強烈な教えのもと、美術・文学に没頭。まさにスティーブ・ジョブズのconnecting the dotsと同じく、あのとき学んだことが、今のアパレル事業で活きています。(と、自分では思っています。)

そのかわり、受験勉強は大苦労。中学で培った気合い論でなんとか鈴木さんと同じ、横浜国立大学に進学。
大学3年生の時に留学します。留学先での一番の収穫は、一流ビジネスマンと多くの起業家との出逢いでした。MicrosoftやAmazonの本社があるシアトルの大学では、彼らと授業で一緒になることもしばしば。一流になっても、なお学ぼうとする姿勢はもちろん、彼らの「社会をより良くするために働く」という生き方にとても感銘を受けました。
中でもよく遊んだ Amazon の Megun には特別影響を受け「私もやるなら社会を変えるようなデカイことをやりたい! 」と強く想うようになりました。 また、それまで“ 起業 ”という言葉も知らなかった私にとって、起業という考えが身近になったのも、この留学を通してでした。

就活は、“ソーシャルインパクトが大きい” “早くできる” “自分で0から創る”といった条件からテレビ局を志望するも一瞬で全滅。天が起業しろと言っているのでは?と思い込んだ私は、友人と起業を検討。とりあえず、日本で起業した人の話でも聞いてみようと友人の誘いで話を聞きに行ったのが、現ボーダレス・ジャパンの田口会長でした。

「ボーダレス・ジャパンは、今はボーダレスハウスだけだけど、社会に必要な事業をこれからどんどん増やしていくつもり。例えば、ボーダレスバンクやボーダレス航空なんて感じ。」起業の経緯を聞くうちに、会社のビジョンに興味をもった私は、面白そうだ!今はまだ情熱をおもいっきり注ぐフィールドが見つかっていないから、ここで学びながら、起業について学ぼうと入社します。

吉田さんの指導のもと、学生の間にしみついた毒抜きをしながらビジネスのハウツーを学び、2年目後半からようやく新規事業の立ち上げに参加。意気込みしかなかった私は、だいぶ試行錯誤の時間が長くなってしまいましたが、3年が経とうとしている今、ようやく夢が現実になろうとしています。

使命感と情熱を持って取り組まなければならない課題をみつけ、自分で立ち上げた事業は今順調に拡大。このまま一気に独立まで駆け抜けたいと思います。

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。