座右の銘
高い壁と、それに当たって砕ける卵
なぜこの仕事をするか
世界各地で自分の目で見た、不条理な社会システムによって虐げられる人々が存在しているという事実を自らの手で変え、お世話になった方々に恩返しをするためです。 「先進国」「発展途上国」のように、経済的な尺度だけを持ってして世界が二分化されて語られるのではなく、もっとそれぞれが独自の発展を遂げるようなワクワクする形を創りたいと思っています。
わたしの履歴書
1998年5月31日、香川生まれ地球育ち。写真左の、長男です。
瀬戸内海と山に囲まれた環境で、うどんを週5で食べて大きくなりました。好きなうどんはぶっかけうどんです。
小さい頃は両親が定期的に海外留学生ホームステイプログラムに参加して、1年に2~3回ほどの頻度で家に海外のバックグラウンドを持った人たちが泊まりに来ていたので、今思えばそれが田舎で生まれ育ったにも関わらず、海外に関心を持ったきっかけかもしれません。両親に感謝しています。
とにかく読書と身体を動かすことが好きで、高校卒業まで一貫してサッカーを続けます。
将来の夢を聞かれてもいまいちピンとくるものがなく、「もっとみんながおもろいと思える世界を作りたいなぁ」と、学校からの帰り道に田んぼの前でぼんやり考えたことが、初めて将来について真剣に考えた瞬間でした。
高校生の時に、友人とヒッチハイクにどっぷりハマり、初めて県外の目新しい景色と乗せてくれた人たちとの素敵な出会いの連続に惹かれます。
そこからはサッカーに明け暮れながら、週末や長期休みの度にコンビニで貰った段ボールを片手に道路横で親指を立て、四国や関西、名古屋などをヒッチハイクで訪れるという感じの高校生活を過ごしました。
そして、「もっとおもろい人に会いたい!」「じゃあ東京か!」という如何にも安易な考えで大学は東京に進学。
大学に入り、バックパッカーとして東南アジアやインドを周遊しながらストリートチルドレンとわちゃわちゃ遊んでいるうちに、それまで漠然と関心があった「貧困問題」を肌で感じ、ちょうど人生の使い道を考えていたこともあって、「世界の貧困地の現状をもっと自分の目で確認したい」と思うようになりました。
そこで、20歳の時に大学を一年休学し、中東・アフリカ・南米の貧困地を中心にバックパッカーとして世界一周の旅に出ます。世界各地の高校や大学、名もなき村で日本語教師の個人活動を行いながら生活をしていましたが、当時は本当にお金も知識もなく、現地に暮らすたくさんの方々に支えられました。
その一年間では、嬉しいことから悲しいことまで、本当にたくさんのことを経験させていただきました。

帰国後、周りは就活ムードのなか、どうにも社会に対する違和感を拭えないでいました。
世界では貧困や紛争など様々な問題が現在進行形で起きているし、日本にも問題が山積みにされている。なのにこのまま自分は見て見ぬふりをしてしまっていいのか。
これまでは、社会を自分の目で見ることを体験させてもらったけど、今度は自分の手で少しでも社会を良い方に変える側に回りたい。
そう思い、「社会を変えるにはお金や!めっちゃ稼いでその金で貧困地のサポートをする!」と、これまた非常に安易な考えで友人と2人、外国人留学生と日本人のマッチングサービスを起業しようとするのですが、あえなく失敗。
圧倒的な実力不足と、目先の利益を追う中で「なんのためにやっているのか」が分からなくなってしまい、玉砕しました、、。
毎日カフェに集合して1番安いコーヒーを頼み、渋谷の路上で営業の電話をかけまくったのも今となってはいい思い出です。
そこから紆余曲折あり、「社会問題を生み出している構造自体をビジネスの力によって変えていく」“社会起業”という方法でもう1度、自分が感じている違和感に対して立ち向かう人生に挑戦しようと考え、今に至ります。
初めて、育ってきた街から足を踏み出した時は、ただ全貌が見えず、遠く遠く感じた人々、世界、社会。自らの衝動に身を任せるうちに、今では、その風景のあらゆる所に小さな記憶の欠片を見つけることが出来るようになり、自分が生きるこの社会の事がとても愛おしくなりました。
これまで自分は、様々な方々との繋がりや、かけてくださった言葉の一つ一つによって形成されてきたと思っています。なので、今度は自分が社会を"形成"する側に回れるように精進したいと思います。
高い壁と、それに当たって砕ける卵。
これからも自分は常に、卵の側に立ち続けます。