座右の銘
できるかできないかじゃなくて、やるかやらないか
なぜこの仕事をするか
"世界中の子どもたちがキラキラした目で輝き続けられる世の中 (子どもの時の夢や憧れをそのままに目指せること)"
わたしの履歴書
1991年 8月27日に生まれ。千葉県大多喜町出身。
姉二人、祖父母と両親の7人家族です。
実家は圏外、コンビニまで車で20分というど田舎です。
もはやコンビニではありません。笑
幼いころは、両親が共働きだったこともあり祖父母に育てられました。
実家は農家をしているのですが、一緒に稲刈りをしたりなど自然の中で生活をしていました!
今でも一番好きな食べ物は、実家から送られてくる白米です!
地元は田舎だったため子どもの数が少なく、保育園から小学校、中学校まで30人一クラス。クラス替えは高校生のとき始めて経験しました。あの時のワクワクは今でも忘れられません。笑
国際協力に興味を持ったのは中学1年のときに「世界が100人の村だったら」というドキュメンタリー番組を見たことがきっかけでした。そこにでは自分と同じくらいの年齢の男の子が両親もおらずストリートチルドレンとして、マンホールで暮らしている映像が流れてきました。それを見て世界には大変な思いをして生活している子ども達がいるのかと衝撃を受け、国際協力に興味を持ちました。
その後の人生の転機は、高校3年生の夏。大好きだった祖父が亡くなりました。
初めて身近な人の死を体験して「人生は有限であること」を実感しました。死に際の祖父はすごくおだやかな表情をしていて 「この人は人生に悔いは無かったのだな」と感じ、自分も一度きりの人生悔いは残さずにやりきったなと思って死ねる大人になりたいと強く思いました。
大学に進学後は興味を持っていた国際協力のことについて勉強しました。
しかし、勉強しているだけでは具体的なイメージができず、実際に現場を見たいという思いが強くなり大学1年のときカンボジアに一人旅に行きました。
そこではたくさんの物乞いの人々や学校にいきたいけどいけない子共、「夢はあるけど・・・」と口ごもる人たちに出会い、みんなやりたいことはあるのだけれど「できない」「目指せない」また、そんなこと考える余裕すらないという人々がたくさんいることを知りました。
自分にとっては初めて出会う、「頑張りたくてもがんばれない。ただただ今を生きるだけで精一杯」人々でした。
わたしはこの時に「うまれた場所や環境のせいで、できることや目指せる人生の選択肢が決まってしまうのはおかしい」この問題を何とかしたいと思い、現在の志を抱くようになりました。
日本に帰国後は出会ったカンボジアの人達のために何かがしたいと思い、 国際協力を行う学生団体で活動して来ました。その活動の中で、再度訪れたカンボジアで雇用を生むことで働く場所もなく貧しかった女性が収入を得られるようになり新しく夢を持つことができたという事例を目の当たりにしました。そこでビジネスの可能性を感じ、「貧困問題を解決するために雇用を生んでいけるような事業を創りたい」と考えるようになりました。
その後、就職活動のとき副会長である鈴木さんが載っている記事を発見し ボーダレス・ジャパンを知りました。
社会問題をビジネスの力で解決する、また社会起業家のプラットフォームカンパニーとして次々に社会起業家を生み出すことで更に多くの社会問題を解決する会社。こんなことを考えている会社が世の中にあるのかとびっくりしました。自分の志を達成するためには、ボーダレス・ジャパンに入り社会起業家となることが一番の近道だと考え、入社を決めました!
現在は、世界を本気で変えたいと望む人々と仕事をしながら日々、勉強しています。
1日でも早く、志を達成するべく邁進していきます!!