座右の銘

どんな大きな社会運動も、始まりは一人だった。

なぜこの仕事をするか

社会問題を解決するためには、政治や企業などの力はもちろん、私たち「市民」の力がなければ、根本からの解決には繋がらないと考えています。社会問題解決を自分事に捉える人を増やし、生まれた環境に関わらず誰もが取り残されず、尊重されるような社会を作りたいです。

わたしの履歴書

高校生時、学校であった社会企業家の講演会が、社会問題と向き合うようになったキッカケです。母校は社会教育に力を入れており、「国際協力」という土曜講座で、多くの社会起業家やNPO職員のお話を聞く環境を与えていただきました。

当時将来の夢は持っていませんでしたが、「自分が一番幸せな時は、誰かの幸せを作っている時」という事だけは明確だった自分にとって、社会問題解決の為の活動には、強い関心を持ちました。それからというもの、「自分が世界の抱える問題に対して、できることは何なのか?」と漠然と考えるようになりました。

大学に入学した後、カンボジアでボランティア活動や、染め物ブランドの立ち上げに取り組みました。カンボジアを選択した理由は特になかったのですが、高校の授業で国際協力を学んだため、開発途上国の力になりたいという想いからの行動でした。

3カ月に一度はカンボジアに行くような生活を送っていたのですが、カンボジアで関わっていた現地の家族と触れ合う中で、日本では薄れつつある人の繋がりの強さに心が惹かれるようになりました。開発途上国と日本で聞けば、マイナスなイメージを持たれがちですが、むしろ日本人である私が学ばせてもらった事がたくさんありました。

ちょうどその頃、学校での講演などで伝える活動にも取り組んでいたのですが、カンボジアと関わりがない人に、地雷や貧困などの社会問題を伝えても、「かわいそう」といった印象を抱かれて終わってしまう事に課題意識を抱えていました。>

「日本人がカンボジアから学べることも伝え、対等な関係で両者を結ぶことで関心をもってもらえないか?」そんなことを考えるようになった時に、とある報道写真家の書籍で「報道写真家とは非日常を切り取るだけではなく、日常も切り取る仕事だ。日常を伝える事で、それを見る人の日常を揺るがすことができる」という趣旨の文を見つけました。

「まさに自分がやりたいことだ」と確信した私は、その報道写真家の方に会うために、夜行バスで上京し、話をさせてもらった数日後にはカメラを購入しました。

そこからカンボジアをはじめとした東南アジアや、大洋州、アフリカの国々で取材に取り組むようになりました。開発途上国に興味を持ち、関わる人を増やすために、「社会問題」と、「日本人が学べること」の2つのテーマを、写真展やスタディツアー、メディア記者など様々な手段で発信していました。

当時はそのまま報道写真家として仕事を続けていきたいと考えていましたが、「伝える」という活動に取り組む中で、無関心な人たちに情報を届ける事の難しさを痛感しました。社会問題を解決するために、認知する人を増やす事が報道の役割と認識していたので、本来最も届けなければいけない無関心層に情報を届けることができないことに強く違和感を覚えました。

情報を発信するジャーナリストも重要ですが、その情報に関心を持つ人や、行動する人を増やす役割も必要なのではないかと考えた私は、報道写真家の道ではなく、社会起業家としての道を選択し、ボーダレス・ジャパンに応募しました。

社会との繋がりが薄れる日本において、社会問題に関心を持つ事は一層難しくなっていると感じます。一人でも多くの人に社会問題と関わるキッカケを与えていきたいと考えています。

社会問題を自分事に捉え、積極的に社会参加をする人を増やすことで、一つでも多くの問題が解決される社会をボーダレスで作っていきたいと考えています。

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。