座右の銘

意識あるところに道は開ける

なぜこの仕事をするか

世界には貧困が理由で勉強したくてもできない子どもたちがいることを知り、生まれる国が違うだけで人生の機会に大きな差が生まれることに衝撃を受けました。この世界をこのままにしたくない。この気持ちから、この仕事を選びました。

わたしの履歴書

生まれたのは母の実家のある山口、幼少期を過ごしたのは広島、そして小学生からは福岡県の北九州市で育ちました。

小学生から高校生の間、両親に必要とされていると感じられず、生まれてきてよかったのか、なぜ自分は生きているのか、と常に考えていました。家に居場所を感じられず、学校を居場所に、友達を自分の最高の理解者だと思って生きていましたが、小学生のころ突然友達からいじめられ、居場所のなくなった私はこの人生を今すぐに終わりたいと思いました。

いじめを経験して以降、常に人との関係に内心怯えていました。そうやって築く人間関係はもろく、何度も居場所をなくすたびに生きることを終わりにしたいと考えていました。しかし、中学生の頃に1か月間アメリカでホームステイをする機会があり、日々自分が見ている世界がどれだけ小さいかを感じさせられました。世界にはいろんな生き方があることを目の当たりにし、人生を辞める方法は死ぬことだけではないことを学んだことで生きることに前向きになり、「つらいことばかりだが命をもらっている。ではこの命をどう使って死ぬか」と考えるようになりました。

それでも高校生の時までは夢の持てない子でした。将来したい仕事もないまま大学受験の時期になりました。将来やりたいこともないので自分で大学を選ぶこともできず、でも迷っている時間もなかったので、第一志望は将来に繋がるかはわからないけれど先生に勧められて興味を持ったことを学ぶ道へ、ダメだったら自分の人生を人のために使えるように国際系の学問を学ぶ道に行こうと大まかに決めました。

私の中で「人のため」とは、遠い国に住む貧しい人々のために生きることを意味していました。小さい頃に、世界には勉強したくてもできない子どもたちがいると知り衝撃を受けた経験がずっとずっと、心の片隅に残っていたのだと思います。また、幸運なことに、貧困削減のためにJICAに興味を持っていた友人が近くにいたことも理由の一つだと思います。

第一志望に行けなかった私は、後者の道を突き進むことになりました。大学生の間は、開発経済学の准教授であるゼミの先生との出会いやフェアトレード推進活動をする学生団体での活動、フィリピンへのスタディーツアー参加などから、貧困問題解決のために何をするかを明確にしていきました。今考えると、大学受験の失敗は「なぜ生きるのか」「この命をどう使うか」に悩んでいた私にとって、生きる意味をくれた選択となったのかもしれません。

学生の期間で出会ったものから考え、たどり着いたのがソーシャルビジネスでした。そのなかでもビジネスレザーファクトリーは、私が学生時代に出会った貧困問題解決のための活動に対して「もっとこうだったら良いのに」と考えてきたことすべてを詰め込んだような理想のモデルでした。またそれだけでなく、世界のロールモデルになることを目指しており、ほかの企業や工場がそのモデルに追随し世界が変わっていくことを理想にしています。これこそ私の「命を使いたい」ことだと思い、今ここで働いています。

生きている間にどれだけ変化を生み出せるかが勝負だと思っています。一分一秒を無駄にせず日々成長していきます!!

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。