座右の銘

やさしくなりたい

なぜこの仕事をするか

苦しんでいる人に、痛みを感じている人に、「問題は社会の側にある」と言いたいし、「社会は変えられる」と伝えたい。

わたしの履歴書

1998年11月生まれ。さそり座。 先天的にメラニン色素を少ししかつくれない「アルビノ」と呼ばれる遺伝子疾患をもって生まれたため、生まれたときから金髪でした。 私をとりあげた産婦人科の先生は「大当たり~!」と言ったとか。 幼い頃は、肌の色が白いからか「雪女~!」とからかわれ、なぜか喜んで雪女を演じていました。 もしその当時に『アナと雪の女王』が公開されていれば、エルサに成りきって氷の魔法でブイブイ言わせていたはずです。 小学校ではいたって普通の子どもだった……と私自身は思っているのですが、友人の証言によれば、クラスの話し合いの時間で男の子とバチバチの論戦を繰り広げる「主張の強い変わり者」だったようです。 そのくせ運動も勉強もてんでダメで、漢字の50問テストで「門」しか書けず2点をもらった私を、母が「『門』が書けたらいろんな漢字が書ける、いい漢字を覚えた」と苦し紛れに励ましたという、ほっこりするやらなさけないやら……というエピソードもあります。 漢字は書けないけれど読書が大好きだった私は、中学生の頃、あさのあつこさんの「バッテリー」という小説と出会います。主人公は反骨精神むきだしの天才中学生。私はその主人公にエンパワメントされ、自分も理不尽に口をつぐむのではなく、それをはねのけるような強さをもちたいと思うようになりました。 入学した「都立杉並高校」は自由な校風の学校で、制服がなく、染髪などを禁止する校則もありませんでした。 この学校には、赤や紫や緑のカラフルな髪色の生徒がたくさんいて、ここで私は「金髪でも目立たない」という初めての経験をしました。 それは、頭髪の色が生まれつき明るい私を「特例」としてではなく「多様性」として認めてくれたはじめての場所でした。 高校生の頃の私は、親に「私、いま中野区にいる人のなかでいちばん幸せだと思う」と言っていました。今考えると意味が分かりません。どうせなら世界一とかにすればいいのに!(笑) そんな矢先、校長先生が「次年度から頭髪指導を開始する」と発表しました。変更が適応されるのは私の一つ下の学年からで、私自身には適用されないものでしたが、むしろそうだったからこそ嫌でした。 私は校則改定に反対するために全生徒のほとんど全員から署名を集め、生徒会役員を説得して臨時の生徒総会を開催しました。抗議の意思を示し撤回を求めましたが、生徒の意見など関係ないとでも言うように、校則は翌年度から変更されてしまいました。 こうして、生徒という立場の弱い存在の声が蔑ろにされ、影響力をもたないことに憤りを感じ、学校にモヤモヤを感じたまま卒業を迎えることになりました。 進学した「武蔵大学」ではメディア社会学を専攻し、卒業研究では不登校をテーマにドキュメンタリー映像を制作。大学での学びを通して、より一層日本の学校教育や社会への課題意識が強くなっていきました。 ひとつ、大きな経験だったなと感じる活動があります。 入学金の支払期日によって生じる「受験機会の不平等」是正のために行った、署名キャンペーン「入学しない大学には入学金を払わなくていいようにしてください!」です。 この活動の中で、多くの方から「前から問題だと思っていたんだよ」という声を聞き、一方で政治家の方からは「新しい視点ですね」と言われました。 これは「誰かが声を上げなければ社会問題は社会問題として認識されず、放置される」と実感した大きな経験でした(本当に苦しい状況にある人は、声をあげる余裕なんてないのに……!)。 今の社会が、弱い立場にある人の声をいかに聴いていないか。マイノリティが我慢を強いられ、「諦め」の横たわる人生を送らなければならないというこの理不尽。 これは私が人生をかけて向き合い、挑みたい社会問題になりました。 小説の主人公のような「理不尽をはねのけるような強さ」は私にはありません。すぐに泣くし、すぐにヘコむ。苦しくて眠れない夜がある。弱くてなさけない人間です。 でも、そんな私だからこそ、常に弱い立場に置かれている人のことを考え、共に在り、心を砕き、学び、行動し続けることができると思っています。 頑張ることができる環境が当たり前ではないということを肝に銘じながら、そして周りのみなさんに頼りながら、必要なことはなんでも、心を込めて全力でやっていきます。 弱い立場に置かれている人に心を寄せ、どんなに困難でも何らかのアプローチをとり続けることで、周囲をエンパワーメントする。そんな人になれたらと思います。

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。