座右の銘

雨だれ石を穿つ

メッセージ

「貧しい人々の、人生の選択肢を増やしたい」この夢を実現するべく、ボーダレスジャパンに入社しました。この目標を実現出来うる方法は多くあ ると思います。ですが、「下積みなんてせず、“今”取り組みたい」「人のお金に頼らず、継続的な活動をしたい」そう考えた時、ボーダレスジャパンしか選択肢はありませんでした。
「なんでこんな汚い水を飲まないといけないの?」そんな純粋な世の中への疑問を、大事にしてください。同じ志をもっているのなら、迷わずに飛び込んできてください。一緒に切磋琢磨し、世界を変えていきましょう。

わたしの履歴書

1990年2月横浜生まれ。一人っ子の血液型B型。
生まれた日は、雷が落ち、雹(ひょう)が降り、地震が起きたということで、両親・祖父母は「この子は神の子なのでは?」と思ったそうです。そんなプラス思考な家庭に生まれました。
幼い頃は非常に泣き虫で、お遊戯会や運動会は大泣きで立つことすらままならず。その一方、注射では絶対泣かないという変態幼稚園児でした。 親が共働きであったため小学生の頃は「学童保育」に通っていました。運動が得意だったこともあり、放課後はスポーツに明け暮れる日々。そんな 中、小学5年生の時友人のいる野球チームに誘われ、野球にのめり込んで行きました。
ちょうどその頃、学童で第2次世界大戦に関するフォーラムに参加したり、祖父母から戦時中の話しを聞く機会が多かったと記憶しています。

中学受験をし、「私立鎌倉学園中学校」に入学。中高一貫校のため、男だらけ6年間の生活をスタートさせました。野球部に入部し、2年生からは主将を任されていました。
高校は何を血迷ったかボクシング部へ。その他バンド活動を始めてみたり、仲間内で一から野球チームをつくったり、学園祭改造プロジェクトを立ち上げたりと、多くの新しいことに挑戦する高校生活を送りました。
※ちなみに、2年生の時、通学の電車でずっと気になっていた女の子に告白。「携帯アドレスを教えてほしい」と伝えたところ「アドレスを教えるのは親に禁止されているので」との返答。「今のご時世そんなことあるかい!」と思いながらも、めげずに「じゃあ家の電話番号でもいいから教えてほしい」と伝えたところ、走って逃げられてしまいました。頑張りました。
高校時代、大体の授業は寝て過ごしていましたが、世界史の戦争に関する授業の時だけは真面目に聞いていました。「何で戦争して人を殺さないといけないんだ」と。
戦争の原因には宗教・民族・政治・貧しさなど色々ある。だけれども、「貧しさ」というのは自分の力で何とかできそうだ!と根拠なく考え、その時唯一知っていた国際的な機関「国連」で働きたいと思うようになりました。

一浪し、慶應義塾大学へ入学。1年間の勉強缶詰生活を取り戻すべく、野球して飲んで遊んでの生活を送っていました。ですが2年生の4月頃「何のために大学に入ったんだ。このままでいいのか。」と考え始めるようになりました。
その時訪れた「戦争、貧困」に関するイベントで「俺のやりたかったことはこれだった!」と思いだし、その3か月後の夏休みにカンボジアへ。カンボジア内戦、そして今も続く地雷原の現実を多くの人に伝えるべく、文字通り地雷原を歩いてドキュメンタリー映画を撮りました。
インタビューをしていく中で、最も印象に残っているカンボジアの方の言葉があります。「その時は戦争するしか生き延びる方法がなかった。とても貧しかったから。」その時「もっと自分の人生を選べるように、貧困問題を解決しよう」と決めました。
訪れたカンボジアの村では、ODAの一環で日本からのお金を受けて地雷撤去活動が行われていました。しかし、1年後にはプロジェクトの期間が終了し資金がストップするとの事実。まだ多くの地雷が残っていて、日々事故に会う人がいるにも関わらずです。
その後もバングラデシュのグラミン銀行などを訪れたり、様々なNPOの活動を見ていく中で、「継続的な活動をし、かつ事業を自らの手でコントロールするには“ビジネス”が一番だと考えるようになりました。
3年生になり迎えた就職活動。説明会に行ってもワクワクしない。「貧しい人たちの人生の選択肢を増やしたい。そのために彼らの所得を増やせる 事業をやりたい」と伝えても、「それ儲かるの?」と言われる始末。一般的な営利企業では「本当に貧しい人の助けになるビジネスは難しいのだ」と気づきました。

そんな時にボーダレスジャパンと出会いました。副社長との面談、4時間30分。その後の社長との最終面接も含め、自らの経験、考えをすべて話し、「ここで事業を作って、貧しい人たちの生活を変えよう」と就職を決めました。
同期は巖水、半澤松本の3名。「青山はかなり遊んでそう」と言い放つ、ユーモアセンスあふれる素敵な仲間です。
それぞれ性格は違いますが、途上国での貧困問題に本気で取り組みたいという志は同じ。巖水と半澤は福岡にいますが、隣に座っている松本含め、日々切磋琢磨しています。

まだまだ、厳しい現実を変えるには、私自身力不足です。ですが、立ち止まってもいられません。こうしている間にも不条理な生活・環境にいる人はいるからです。貧しい人々の生活を変える「社会起業家」になるため、走りながら学び、何度転んでもただでは起きず、目標に向かって進み続けます。

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。