ピープルポート 代表 青山 明弘

わたしのHOPE
難民が絶望ではなく 希望を持てる社会を

避難先で経済的に安定し、信頼できる人とのつながりを得られるよう、日本語が話せなくても安心して働ける場所を創る。さらに、受け入れる側の人々と共に平和な生活ができるよう多文化共生社会を作っていきたい。

HISTORY

これまでの歩み

  • 23

    入社

    大学卒業後、新卒でボーダレス・ジャパンに入社。

  • 23

    ボーダレスハウス配属

    ボーダレスハウスで、オペレーション改善、マーケティング、新規企画、物件開発を担当。

  • 24

    台湾駐在

    ボーダレスハウス台湾支店を立ち上げ、現地法人代表に就任。2年で黒字化し帰国。

  • 27

    起業

    ピープルポート株式会社創業、難民申請者の雇用創出に取り組む。

わたしの物語 わたしの物語

01

なぜ会社を立ち上げたのか?

元々は第二次世界大戦を経験した祖父母の影響で、平和構築、紛争被害者の支援に関心を持っていました。

大学生時代に訪れたカンボジアで、昔兵士として内戦に参加していた方へのインタビューで印象に残っている言葉があります。「戦争をなくすための方法」を考えている中で、日本に避難してきた難民申請者と出会いました。

そして、母国にいる家族・友人の心配はもちろん、自身が母国で経験したことによるトラウマを抱えながら、日本で経済的に貧しく、社会から断絶され孤立に追いやられる厳しい生活を送る彼らの生活を立て直すことに取り組むことを決意。

またそれにより、彼らが受けた暴力を次の世代に引き継いでいくのではなく、自分の生活が安定し安心を得られることで、平和構築の担い手に変わることができるのではと考えています。

02

今の仕事の喜びは?

母国で悲惨な体験をし、さらに日本での厳しい生活に絶望し希望を失いかけている人たちが、再び生き生きと生活できるようになる姿を見るのが一番の喜びです。

「3食毎日食べたい」「好きなものを買いたい」「家族と一緒に暮らしたい」といった、本人にとっての幸せを実現していく仲間を見るのがとても嬉しいです。

03

次のチャレンジは?

大きく5つのステップを考えています。

現在取り組んでいる1ステップ目は「日本語が話せなくても働ける場」づくりのためのパソコンの再生事業。これを最低でも今の10倍の規模に拡大していく。

2.ステップ目は、著しく認定率の低い難民申請に頼らず、仕事をするビザで日本に在留できるよう、ソフトウェア開発事業を始める。

3ステップ目は、日本以外に安心して生活できる選択肢が得られるよう、難民認定が降りやすい国への海外進出をする。

4ステップ目は、IT関連以外でも働ける選択肢を作れるよう、人材紹介事業を始める。

最後の5ステップ目は、世界中の難民に事業が届くよう、紛争が起きている国の近隣諸国に進出し、現地の起業家支援を行い、雇用を生み出せる数を増やしていく。

MEDIA / AWARD

メディア出演・受賞歴

PROFILE

青山 明弘

1990年生まれ、神奈川県出身。学生時代に訪れたカンボジアで、内戦経験者へインタビューをきっかけに、ソーシャルビジネスで戦争・紛争解決、被害者の支援を志す。新卒で株式会社ボーダレス・ジャパンに入社。東京のボーダレスハウス事業部で1年半、その後ボーダレスハウス台湾支店の立ち上げへ。
2017年、日本へ逃れてきた難民のために、ピープルポート株式会社を創業。環境負荷ゼロ、難民ゼロを目指すエシカルパソコン「ZERO PC」の販売を通じて、事業の拡大を図っている。

わたしが働く会社