座右の銘
Believe in yourself
なぜこの仕事をするか
雇用を創出するだけでなく、 衣食住・教育・医療の整ったコミュニティ作りで、貧困解決のロールモデルを生み出すため。
わたしの履歴書
1994年、埼玉県で生まれる。 父親の転勤で、埼玉▶千葉▶長野▶埼玉と東方面の移動を繰り返す少年時代。
長野県での小学生時代は、とにかく友達と遊びまくり、 埼玉での中高時代は、バレーボールと勉強に日々熱中していました。
大学受験で第一志望の埼玉大学へ行けず、滑り止めでセンター受験をしていた東洋大学国際地域部へ入学。
当時は人生の終わりを悟るほど空虚な感覚で大学時代をスタート。 大学初日に受験したTOEICで全然点数が取れなかったことが悔しく、 英語力をもっと上げたい、というモチベーションだけで1年目を過ごしました。
大学1年の末に、初海外としてオーストラリアへ渡航し、海外めちゃくちゃ楽しい!となり、 海外へ行くために英語の勉強と渡航費を稼ぐために居酒屋バイトに力を入れていました。
大学2年時にはフィリピン、アメリカ、シンガポールへ。 外務省KAKEHASHI PROJECTで渡米し、3都市で日本文化のプレゼンをしたり、 内閣府国際交流事業Ship for World Youth leadersへ参加し、世界11カ国の青年と出会う。
この頃、初めて人生の上昇気流を味わいました。
大学3年時にはインドネシア、マレーシアで語学教師ボランティアとなり、 東京の学生を対象にしたスタートアップ支援のSekai Creatorという外部プログラムにも参加。 「人脈パーティ」と題したミートアップを一人で企画・運営し、社会人と学生を巻き込んだ交流会を合計4回実施。 など、この頃、5団体に同時加入していて、週7日稼働していました。
大学4年時には国連ボランティア計画という国際機関でのインターンシップを志望し、ウガンダへ半年間渡航。現地では広報官として、国連ボランティアの行う活動を対外・対内へ発信する活動をしていました。
と、結果的に大学生活はとっても充実していて、悔いは一切ないです。
問題はその後……、就職となると、就きたい職業はないし、就きたい業種もなく、人生で何をしたいんだろう、と瞑想。
結果的に、大学卒業間際に、就職予定だった某大手メーカーの内定を辞退してます。
ちょうどそのタイミングで起業する方がいると、知り合いに紹介され、 形式状は創業メンバーとして、アフィリエイト媒体を軸とした広告代理店で修行。「自責」「スピード」「本質」のような、代表から学んだ働き方や仕事感は、いまでも、仕事する上で大切にしているキーワードです。
平日は朝7時から夜9時まで、土日も働く日々でしたが、 どこか、自分のやりたいことができている感覚はなく、必ず将来に役立ちと言い聞かせて踏ん張っていました。
そして、ちょうど1年の節目を過ぎたあたりに、ある動画を見つけます。
「人生の価値は、何を得るかではなく、何を残すかにある。」
株式会社ボーダレスジャパンの代表田口のテッドトーク動画を食い入るように見てしまい、 自分がやりたかったことを既にやっている人がいる!!!と心が踊りました。
動画をみた後すぐ、WEB上で採用ポストを確認し、求人へ応募。
フィリピンやウガンダなど、大学時代に途上国へ渡航して抱いた感情を伝えると、 ビジネスを通してバングラデシュで雇用創出する事業が合っているとおもうよ、と「ビジネスレザーファクトリー」を提案され、二つ返事で採用を受けさせて頂きました。
代表原口の想いにも心から共感し、 途上国のボランティアやインターンで感じた無力感が、ビジネスを通して雇用創出ができれば、本質的に貧困課題は解決される!と希望をもって就職しました。
普段は店舗開発の営業ですが、バングラ渡航のプログラムも任せてもらえ、 現地と顔の見える関係性が築けれているのが大きなやりがいです。
1店舗あたり約50名の雇用に繋がります。 インパクトの大きい店舗を出店するため、今日も営業頑張ります!!