座右の銘

おもしろきこともなき世におもしろく。

メッセージ

「ビジネスという手段を用いて社会をより良く変えていく」 一度切りの人生の中で、私が成し遂げたいと思った事がこれでした。目の前に当然のように居座る貧困・格差を解決していく。そして共に生きる人々と喜びを分かち合って生きていく。私はそういう生き方がしたいと思っています。 今、その一歩をこのボーダレス・ジャパンという会社で踏み出しました。まだまだ小さい一歩ですが、でも道が見えてきました。社会起業家としてその夢を実現します。

わたしの履歴書

半澤節
1990年2月生まれ。二人姉弟の長男として生まれる。
小さい頃から涙もろく、金八先生を見ては毎週号泣。マンガ「ワンピース」でも感動場面ではことごとく涙。いまでもそれは変わらず、映画館に行く際には必ずポケットティッシュを常備。福岡の映画館から目を真っ赤にして出てくる人がいたら、それは僕かもしれません。

両親共働きだったこともあり、幼いころからおばあちゃん子として育つ。 小学校時代には、祖母と年齢の近しい人を見つけると祖母のことを知っているかどうか聞きまわったほどだという。今でも近所の方からは「あの時の…」なんてほど。 そんな祖母からは数えきれないほど多くのことを教えてもらいました。僕の生き方・人格形成に大きなプラスの影響を与えてくれた祖母には感謝してもしきれません。

小・中・高は東北地区の地元の学校に通う。 そんな私に転機が訪れたのは、大学受験。根拠のない自信だけは持っていた当時の私は、地元でも有数の大学を受験し見事失敗。 周りからみれば当然の結果だったようだが、本人としては納得が行かず。負けず嫌いだったこともあり、「おれを落とすなんて…100倍返しだ!」と時代を先取り。「○○大学はもうお呼びじゃねー」を当時の親友との掛け声に一年間、人生で初めてまじめに勉強に取り組みました。 朝からその親友(男)と同じ授業を受け、昼も共にし、休憩のタイミングもほぼ一緒な上に帰宅も一緒。ということで、周りからは出来てるんじゃないかと嫌疑をかけられるほどだったとか。。。(※彼の名誉のためにも、もちろんそんなことはないとここに記しておきます。)

そんな高校・浪人時代を過ごす中で、いつしか自分はオリジナルの存在(変わりもの)でありたいと強く思うようなりました。 そう思い至ったきっかけはよくわかりませんが、今から思えば、当時の友人たちや尊敬する予備校講師の『自分をしっかりともって生きていく』という姿勢に強く感銘を受けていたように思います。 そんなことから変人が多そう・そして福山雅治が座った椅子でたそがれたい。という願望も合わさって一橋大学に入学。

大学時代は、高校から始めたテニス(※現在は、岩城さんと定期的な練習会を開催予定)に明け暮れる一方で法学部だったこともあってか哲学的なことに悶々することが多かったように思います。 大学2年時に、ふと旧友から「お前はできるだけ後悔のない人生を送りたいと言っていたが、どうやってそれを成し遂げるのか」と問われたことをきっかけに自分探しを始める。

その後行った東南アジア。僕なんかよりはるかに小さい子供が働く光景や路上で生きている人々の姿。僕からティッシュを取り上げ食べようとする子供。僕にとってその全てが強烈で、そしてどうしても見て見ぬふりができなかった。この現状を変えたい、変えなくてはいけない。日に日にその想いが強くなった。 帰国後は「社会をより良く変える」ためにどうすれば良いかを模索し、国際協力団体などにも所属。

その中でソーシャルビジネスに可能性を見いだしていきました。ちょうどその時に、鈴木さん田口さんに出会いボーダレスジャパンにて社会起業家になることを決意。 現在は、同期のアキラと共にAMOMA事業部に従事。お互いに触発し合いながら仕事をしています。 ようやく少しずつ、自分の道が見えてきたところ。社会起業家になるべく日々邁進しています。

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。