座右の銘
おもしろきこともなき世におもしろく。
なぜこの仕事をするか
社会貢献は儲からないから仕事にできない、NPO/NGO・ボランティアがやるものだと言われ多くの人が志を道半ばで諦めてしまう現状が日本にはあります。 しかし僕が8年間働いてきて分かったのは「社会貢献を仕事にできる」こと、その仕組みと環境があるということです。 多くの人が自分の志を諦めて良い社会・実現していく仕組みを作り加速させていきたい。それがこの仕事をする理由です。
わたしの履歴書
1990年2月生まれ。二人姉弟の長男として生まれる。 小さい頃から涙もろく金八先生を見ては毎週号泣。マンガ「ワンピース」でも感動場面でことごとく涙。今でもそれは変わらず映画館へは必ずハンカチ常備。福岡の映画館から目を真っ赤にして出てくる人がいたらそれは多分僕です(笑)
両親共働きだったこともあり幼い頃からばあちゃん子として育つ。 小学校時代には祖母と年齢の近しい人を見つけると「祖母のこと知ってますか?」と聞きまわったほどだという。今でも近所の方からは「あの時の…」なんてほど。
そんな祖母からは数えきれないほど多くのことを教えてもらいました。僕の生き方・人格形成に多くの影響を与えてくれた祖母には感謝してもしきれません。
小・中・高は東北地区の地元の学校に通う。 そんな私に転機が訪れたのは、大学受験。根拠のない自信だけは持っていた当時の私は地元でも有数の大学を受験し見事失敗。
周りからみれば当然の結果だったようだが本人としては納得が行かず。
負けず嫌いだったこともあり「おれを落とすなんて…100倍返しだ!」と時代を先取り。
「○○大学はもうお呼びじゃねー」を当時一緒に頑張ってた親友との掛け声に一年間人生で初めてあんなに勉強しました。
そんな高校・浪人時代を過ごす中で、いつしか自分はオリジナルの存在(変わりもの)でありたいと強く思うようなっていました。 そう思い至ったきっかけはよくわかりませんが今から思えば当時の友人たちや尊敬する予備校講師の「自分をしっかりもって生きる」姿勢に強い影響を受けていたように思います。
そんなことから変人が多そう・そして当時ドラマで福山雅治が座ってた椅子で黄昏たい。という願望も合わさって一橋大学に入学。
大学時代は高校から始めたテニスに明け暮れる一方、法学部だったこともあってか哲学的なことに悶々することが多かったように思います。
大学2年時に再会した旧友から「お前は後悔のない人生を送りたいと言っていたが、どうやってそれを成し遂げるのか?」と問われたことをきっかけに自分探しを始めます。
その後初めて行った東南アジア。自分なんかよりはるかに小さい子供が働く光景や路上で生きる人々の姿。食べ物だと勘違いし、僕らからティッシュを取り上げ食べはじめる子供。自分にとってその全てが強烈でどうしても見て見ぬふりができなかった。
この現状を変えたい、変えなくてはいけない。日に日にその想いが強くなり帰国後は社会を良くするためにどうすれば良いかを模索、国際協力団体にも所属しました。海外でみた光景や行動する中で知ったボランティアや寄付の限界とその中で見えたビジネスの可能性。
ちょうどその時にボスや鈴木さんと出会いボーダレスジャパンにて社会起業家になることを決意します。
入社後1年目からミャンマーの貧困農家に雇用を創るAMOMAで商品開発やWebマーケティングを担当、2年目を迎える前には韓国支店立ち上げの責任者として約1年間韓国に渡りました。
その後トルコでの事業立ち上げなどを経験し2019年より社会起業家をサポートするスタートアップスタジオ(SUS)へ。
自らの起業経験も活かしボーダレスグループにジョインした起業家の黒字までを伴走するバディを務め2019年冬より採用チームへ。
現在は志ある人が社会起業家やソーシャルビジネスを仕事にすることができるよう、ゆか・スズケン(採用チーム)と共に日々仕組みや企画作りに邁進しています。
起業家・バディと異色の経歴ですが自分だから社会貢献を仕事にしたいと今思っている人たちに寄り添い伝えられることがあると思っています。
ソーシャルビジネスや社会貢献を仕事にすることが、難しいことではなく当たり前になる世の中を作るべく頑張っていきます!