座右の銘
まっすぐ生きる
なぜこの仕事をするか
いっしょに働くメンバー、農家さんが大好きです。やさしくてあたたかい彼らの生活が、もっと安心できる、幸せなものであるよう、力になりたいと思っています。そしてそんなつながりを世界中に広げていきたいです。
わたしの履歴書
「世界中には、私とおなじ人間がたくさんいる!彼らに会ってみたい!」
そう考えるようになったきっかけは、大学受験直前の11月に読んだ「Three Cups of Tea」という、1冊の実話本でした。
ニュースでよくみた宗教を理由に対立する人々の姿とは対照的に、心を通わせる登場人物たち。今まではどこか現実感のなかった世界中の人々が、自分とおなじ人間として急に身近に感じられるようになりました。そして、大学生になったら彼らに会いに、国際協力の道に進もうと決めました。
入学後、国際協力NGOに参加してからは、フィリピン・セブ島の現地NGOが生産するドライマンゴーを輸入・販売するフェアトレードに明け暮れました。無我夢中で活動するうちにあっという間に1年が過ぎ、初めてフィリピンを訪れたのは大学2回生の春でした。
そこで出会ったのは、嬉しければ笑い、悲しければ辛い表情をみせる、自分とおなじ人間です。でも、人間であることはおなじはずなのに、自分の暮らす世界とはあまりに違う過酷な環境でした。毎日の食事さえ満足に取れない収入で生きる人、病気でも薬さえ買えない人、ゴミ山から拾ったフライドチキンをかじる子どもたち。スラムのお母さんは、「日本人はこんなものは食べられないかしら?」と恥ずかしそうに言っていました。
この時に感じた何とも言えない感情が、その後の原動力になりました。
転機は、2回生の11月に訪れました。NGOが10周年を迎え、アジア生協協力基金から助成金を頂いて新しいプロジェクトを立ち上げることになったんです。現地の人が、自分の生活を恥ずかしいと思わないでほしい、自信をもってほしいと思い、農村・スラム両方の自活を促すプロジェクトを考え始めました。
ココナッツオイルを観光地・セブ島でお土産商品として販売し、その売り上げをもとにスラム地域で家庭菜園をするプロジェクトを運営していると、やるべきことが山積みで、毎日目の前のことをこなすのに必死でした。
3回生の11月8日、フィリピンを大型台風30号が襲い、セブ島があるビサヤ地域は大きな被害を受けてしまいました。急遽、募金をかき集めて12月に現地入り。根っこから倒れたココナッツの木、倒壊した家屋や学校など状況はすさまじく、オイル販売の利益は、この復興事業にも回しました。
結果として家庭菜園事業では、20種類ほどの植物の栽培、豚の飼育まで行い、スラム住民の健康を一歩改善できました。ココナッツオイルの販売事業でも、一定の売上げを達成しています。
しかし、必死に前に突き進む毎日は、あまりにも前しか見えておらず、気がつけば隣にいるメンバーを気遣う余裕を失っていました。メンバーと心が離れてしまっているのに、無理やり進めて失敗して、またメンバーとギスギスしてしまう…という負のスパイラル。ひどいリーダーだったと、今も大いに反省しています。
卒業後は、もっと自分にできることがあったのではないかと考えて、そのままフィリピンに渡りました。ある企業でインターンをしながら、合間を縫って現地NGOとともに事業の立ち上げを模索する日々でした。
しかし、お金も知識も経験もない私では、自分の身さえ自力で支えることができませんでした。現地に行けば何かができるという甘い考えを木端微塵に打ち砕かれ、ぼろぼろで帰国しました。
それでも現地NGOのメンバーからメールが送られてきて、私が帰国した後の現地の様子と一緒に、私のことを心配する文章がたくさん並んでいました。
「力になれなくてごめんね。もっとうちのNGOに売り上げがあれば、なおを雇って、パートナーとして一緒にやっていきたかったのに。これからも連絡を取り続けましょう」
あたたかい気遣いに涙が出たと同時に、うだうだ腐っていた自分の目が覚めました。彼らに「雇ってあげなきゃ」と思われていてどうする。今のままの自分では、力になるどころかお荷物になる。本気で誰かの力になりたいなら、自分がまず力をつけなければ、と。
そして、大学生の就活の時期に少し気になったボーダレスの存在を思い出しました。実際にいくつものソーシャルビジネスを手掛ける会社なら、事業がどのような判断をもとに動いていくのか、どう動いたら成功し、どう動いたら問題が起きるのか、それをどう解決するのか、といった生の体験を毎日積むことができると感じています。
早くボーダレスで実力をつけて、今度こそ、第二の故郷であるフィリピンの人々のパートナーとして、彼らが苦しんでいる問題を共に解決したいです。