座右の銘

常に誰かを傷つけていると自覚する

なぜこの仕事をするか

次の世代、次の次の世代が、思わず笑顔で「ありがとう」と言いたくなってしまうような社会をつくるため

わたしの履歴書

1984年3月生まれ、岐阜出身の一人っ子です。

小学校6年生からバスケットボールを始め、10年間バスケットボールにのめり込み、かと思えば、大学2年生からは演劇、サブカルチャーの世界にどっぷりとのめり込んでいました。そんな私は現在、社会起業家として教育事業にのめり込んでいるわけですが、原点は「両親の笑顔」です。

私の両親は、2人とも小学校の先生をしていました(母はまだ現役で働いています)。いつも楽しそうに働く姿を見て、漠然と先生って「いい仕事」なんだなと思っていました。そういった影響から、大学では栄養士の資格と併せて、中・高の家庭科の教員免許を取得しました。
余談ですが、大学と並行して夜間の専門学校にも通い、ファッションビジネスを学ぶというアクティブな学生生活を送っていました。

そして就職活動のときに、学校法人三幸学園に出会います。
三幸学園は、医療、スポーツ、美容、ファッション、保育などさまざまなジャンルの専門学校を全国に展開しています。大学生活で学んできたことをすべて活かすことができる最高な環境に「ここしかない」とトキメキを感じ入社し、専門学校の教員として社会人生活をスタートさせました。

私が勤めていた専門学校は、保育士や幼稚園教諭の資格が取得できる専門学校でした。天職だと思って働いていたある日、生徒の大半が保育園や幼稚園、施設へ就職するなか、ある男子生徒が「一般企業に就職したい。先生のおすすめの企業を教えてほしい!」と私に伝えてきたのです。男性保育士の数は少ないし、保育士は給与水準が決して高いわけではない。だから保育士以外の道へ進みたい、と。

そのとき私は、頭が真っ白になってしまい、彼が求めているような答えを返してあげることができませんでした。 「どこの保育園に就職できるか」は相談にのれても、一般企業のこと、学校以外の社会のことについては、自分の言葉で伝えられずにいました。

先生は生徒の未来を豊かにするためにいるはずなのに、教科書に載っていないことは教えられないなんて、おかしな話です。
それからというもの、社会を知らない私が教壇に立っていることに、違和感を覚えるようになりました。私が教えていることはテキスト通りだから、正しいはず。でも、もっと私が伝えないといけないことが他にあるのではないか…そう考えるようになっていたのです。

そこでまずは自分自身が学校以外の環境に飛び込み、社会を知ろうと、悩みに悩んだ挙句、8年間勤めた学校法人を辞め民間企業へ転職をしました。
ベンチャー企業や大手事業会社で経験を重ねる中で、やっぱり教育に貢献したいと、2016年9月にプライベートな活動として始めたのが『先生の学校』でした。先生が学校の中では学べない、でも知っておくと良いことを、先生以外の人たちと学び合う場をつくりたくて始めた活動です。

この活動を3年半続けるなかで、「先生と子どもたち、両者の人生を豊かにしたい」という想いが、どんどん強くなっていきました。とはいえ、起業するという選択はボーダレス・ジャパンに出会っていなければ、生まれていなかったと思います。
2018年の年末、滅多に見ないTwitterにたまたまログインした際に友人がシェアしていたのが社長の田口のインタビュー記事でした。その記事の内容にあまりに感動してしまい、すぐさまボーダレス・ジャパンのHPを読み漁りました。そして、気がつけば2019年の6月〜9月に実施されたボーダレス・アカデミーの2期生として事業づくりに取り組み、その後社会起業家の採用試験を受け、今私は社会起業家としてボーダレス・ジャパンに参画しています。

2020年3月、私は36歳の誕生日に会社を登記しました。
人生100年時代と言われますが、とはいえ人生の折り返し地点に立っていると思います。自分のためだけに使う時間はもう十分使いきったと思っています。これからは次の世代、次の次の世代が、思わず笑顔で「ありがとう」と言いたくなってしまうような社会をつくってバトンタッチする、そんな社会づくりのために自分を使っていきたいと思います。

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。