座右の銘

Where there's a will, there's a way.

なぜこの仕事をするか

学校に行きたくてもいけない子どもたちが学校に通える社会を、ビジネスを通じてつくっていきたい。

わたしの履歴書

1994年8月30日千葉県松戸市生まれ。3姉妹の真ん中っ子として育ちました。赤ちゃんの頃からミルクも飲まず、ほとんど眠らない子。その影響は、今の私の偏食っぷりや生活スタイルに確実に表れています。

小学校に上がってからは、スポーツが大好きでした。バスケ、サッカー、陸上、水泳とすべての運動部に手を出し、松葉づえをついていてもマラソン大会に出てしまう。バスケットは中学・高校も続け、私の青春はバスケ一色でした。

そんな私に社会問題を知るきっかけをくれたのは小学校の総合学習でした。当時、調べていたパラリンピック代表選手の佐藤真海さんに出会う機会があり、著書の『ラッキーガール~神様は乗り越えられない試練は与えない~』を読みました。真海さんの前向きに生きる強さに感動するのと同時に、真海さんの義足をつくる職人さんに影響を受け、将来は真海さんのような人を支える仕事がしたいと思うようになりました。

高校の進路面談では、好きだった英語と誰かのために何かしたいという漠然とした想いから、青年海外協力隊への参加を勧められ、途上国に行きたいという思いが強くなりました。「カンボジアに行きたい」という目標を持って進んだ大学では、途上国についてのゼミに所属。NGO CBBというカンボジアの農村部の子どもたちに教育支援を行うサークルに所属しながら、長期休みのたびにカンボジアに行っていました。また、大学1年次に参加した東日本大震災のボランティアで訪れた宮城県石巻市では、牡蠣漁師さんのお手伝いをしたり、地元のコミュニティづくりに力を入れ、月に1度夜行バスに乗って石巻に通っていました。今でも石巻の人々とは親交があり、私の第二の故郷となっています。

そうして迎えた大学4年次。カンボジアでの活動は続けていたものの、長期で関わってみたいという思いが強くなり、、大学を1年休学して、再びカンボジアへ。NGO CBBの現地駐在員として、1年間カンボジアの農村部で英語と日本語を教える語学塾CBBスクールの立ち上げを行いました。スクールの建物があるだけで、ほとんど授業が行われてなかった場所で、授業の時間を決めることから始まり、プロモーションのための家庭訪問、毎日のスタッフミーティングなど、8人のカンボジア人スタッフと共同生活をしながらスクール運営に励みました。一時期は生徒は120人まで増えたものの、現地人だけで運営する仕組みをつくるのはなかなか難しく、やりたいことはあっても十分なお金がない課題に直面することもしばしばでした。

1年間の任期を終え、帰国した私を待っていたのは就活。遠回りした1年で決めた「貧困」へ立ち向かう覚悟大好きになったカンボジアへの想いを持ってやってきたボーダレスジャパンの座談会。飛び交うビジネスアイデアにとてもワクワクしたのを覚えています。

「たくさんの社会問題があるけど、私がまず一番に解決したいのは、カンボジアの子どもたちが学校に行くために農村に雇用を生むことだ。」そう思い、ボーダレスジャパンへの挑戦を決めました。
ボーダレスジャパンでは、常に向上心を持って日々前進していきたいと思っています。

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。