座右の銘
Cool Head but Warm Heart
なぜこの仕事をするか
発展途上国だけじゃなく、日本においても生まれた境遇のせいで自分の可能性を信じることができない子どもがたくさんいます。
そんな子供たちが自分の可能性に希望をもって生きていけるような社会の仕組みをつくることを目指します。
わたしの履歴書
1993年12月16日、茨城県つくば市で誕生。
母はピアノの先生、父は百貨店につとめて単身赴任という家庭でしたが、父が帰ってきたときは遊園地や水族館によく遊びに行き、祖父祖母たちにもよく面倒を見てもらって幸いなことにすくすくと育つことができました。中学からは茨城県の中高一貫の私立学校に通い始め、そこでは部活のテニスにあけくれる日々で朝は朝練のため週に5回は4時半起きというストイックな日々を送っていました。テニスばかりしていたためか大学受験では3点差で大学に落ちてしまっていたため浪人を決意し、1年後なんとかリベンジを果たせました。
こうして大学生活が始まったわけですが、大学生活の前半は中学・高校と引き続きテニスに明け暮れる日々でした。 茨城から東京まで通ったため朝4時半起きの生活は大学に入っても続いたのでした。ぼくは経済学部だったこともあり、大学3年からはITベンチャーでインターン巡りをするといった生活も始まります。
この頃から様々な起業家と会うようになり、僕の祖父が起業家(レーダー技師として第二次世界大戦に参加し、敗戦の理由の一つが日本の技術への認知不足だったといってレーダーの会社をおこしたのでした)だったこともあってか、起業というのも面白そうだ、というのがうっすらと感じるようになりました。
その後面白そうだと思っていたIT企業から内定をいただいてそこでインターンをし始めたのですが、やっているうちにだんだんそれでやっていることはいいのだろうか、と違和感を感じるようになります。
高校の友達で、小説家やアニメプロデューサーやバンドマンなど、本当にやりたいことのために突き進んでいる友達がいたから、そういう友達と話すとどこか彼らと違う気がする…と感じていたのです。
そんなときに、いつも頭によぎるのはこれまで訪れたカンボジアやフィリピンの発展途上国の国に行ったときの思い出でした。
自分はもしかするとそういう”貧しさ”に対して何かをしたいのではないか、と思うようになっていきます。だけどやりたいことは何なのか明確に見えたわけではなかったので、大学院に進学して途上国の貧困について学ぶことを決意し、そこで自分のやりたいことを見極めようと思ったのです。
そして大学院時代にインドネシアのスラムやそこへの人の移動についての研究をはじめ、実際にインドネシアやフィリピンのスラムに足を運んだりしました。そこでぼくが見たのは、貧困だと思っていた世界ではなかったのです。 たしかに、経済的には貧しいかもしれないけど、ぼくのことを温かく迎え入れてくれたり、子どもと一緒に入れることを幸せだと堂々と言う家賃1800円の家に住むお母さんとあったり。
そこで初めて、貧困=不幸とは限らないし、本当の貧しさは心にあるのだろうと思いました。
そういういきさつで、むしろ心の貧しさが問題なのは日本なのではないかと思うようになりました。
1周回って日本に帰ってきたかんじです。
なので、ボーダレスでは居場所を感じることができない日本の子どもに対してアプローチをしたいと思っています。
これまで遠回りをしてきたように思えるけど、「遠回りこそが一番の近道だった」と言えるように、ボーダレスで志の実現に向けて突っ走っていきたいと思います!