座右の銘

Where there's a will, there's a way.

なぜこの仕事をするか

「貧しい人々の役に立ちたい」。この志を達成するためだけに、学び、選び、生きてきました。貧困の罠に陥る子ども達が一人でも減るように、彼らが自分達の手で明るい未来を描けるように、社会を変えていきたいから。

わたしの履歴書

原口瑛子

 

1985年9月生まれ、熊本県出身。

山と海に囲まれ、静かな田園風景が広がる風光明媚な町で、生まれ育ちました。

幼少期、海外との接点は皆無に等しく、世の中で起こる様々な出来事は、私にとっては遥か遠い、違う世界のことでした。祖父が若い頃にミクロネシア連邦のチュークに渡ったこともあり、その家族との親交だけが私にとっての唯一の海外との接点でした。

そんな私が現在の私に至るまでに、これまで多くの人々との素晴らしい出会いや、様々な出来事がありました。その全ての出会いや出来事が、一つ残らず織り重なって、現在の私を形成し、支え、前に突き動かしてくれていると信じています。その全てをわたしの履歴書として紹介したいところですが、到底ここには書き尽くせないため、その一部をご紹介したいと思います。

小中高ともに、地元の公立学校に入学。部活は、一貫してバスケット部に所属します。

小学時代は、スポーツ一色。早朝はランニング、部活はバスケット、放課後はスイミング、時々ゴルフと、アクティブな毎日でした。当時の部活の監督かつ担任であった恩師は、バスケットの楽しさだけでなく、学校生活の中で相互扶助の精神を教えてくれました。各々の得手不得手を理解して受け入れ、互いに助け合う事は自然であると、早い段階で教えてくれた恩師には本当に感謝しています。

中学時代は、バスケット一色。小学時代同様、キャプテンをつとめます。しかし、負ける試合が続き、自分の牽引力の低さを痛感。「チームが取り組むべきことは何か、その中で自分の役割は何なのか」と自問自答を続ける毎日。引退直前、チームの志気は急上昇し急成長、そして過去最高の成績で引退。チームという小さな組織でしたが、勝敗に影響する組織運営の醍醐味を経験しました。

高校時代は、バスケットと勉強で充実した日々。しかし、将来の目標を明確に描けずに悩んでいました。その頃、ケビン・カーター氏の写真やダグラス・ラミス氏の著書に出会います。それらの作品で触れた、貧困、飢餓、格差の問題。自分の知らない世界に対して、当時の私は強い衝撃を受けました。「将来は貧しい人々に役立つ仕事がしたい」。この時の想いが、現在の私の軸となっています。

その後は、紆余曲折ありつつも、軸だけは見失わないよう、突っ走ったり転んだり、時には寄り道しながら、少しずつ前に進みます。

大学は、経済学を学びたいと考え、早稲田大学政治経済学部に入学。しかし、無機質な経済学と貧困問題が頭の中で繋がらず消化不良。百聞は一見に如かずとフィリピンやモンゴルでボランティアに参加。そこで見たものは想像よりも厳しい現実でした。「読み書きできないからゴミを拾って生きるしかない」。スモーキーバレーで暮らす少年の話を聞いた時、高校時代の想いは一層強くなりました。

大学院は、イギリスのサセックス大学開発学研究所で貧困と開発修士課程を修了。貧困、格差、社会保障等の研究を行いました。世界中から集まったクラスメイトと貧困問題について議論を交わす日々。最も印象に残っているのは、開発途上国出身の友人の「他者に依存せず自分達の力で貧困問題を解決したい」という言葉。この時に友人達と交わした言葉の数々が、現在の私の道標となっています。

大学院在学中、マラウイを訪問、援助機関が実施する経済活動活性化事業を視察しました。事業の実施により雇用が創出され、貧困層の生活が確実に改善されている事を確認、経済活動活性化の事業の可能性を感じました。他方、収益力の観点から事業の持続性には疑問が残りました。振り返ると、この時に感じた事業の可能性や、持続性に対する疑問が、ボーダレスに応募したきっかけでした。

大学院卒業後、ODAの実施機関である国際協力機構(JICA)に入構。国際機関との連携事業や中米地域の円借款案件を担当。開発課題の解決に向け相手国政府や実施機関と議論を重ねながら事業の実施に携わります。仕事にやり甲斐を感じ、365日100%仕事に没頭する日々。尊敬する先輩方にも出会いました。業務を通して開発に対する姿勢を教えて下さった上司には心から感謝しています。

その後、フランスに留学。仏語を勉強しながら今後のキャリアを見つめ直します。留学中、偶然出会った人と未来の話をしていた時のこと。「もし人生が残りわずかしか残されていなかったら、限られた時間の中で何を成し遂げたいか」その質問された時、改めて気付きました。高校時代から変わらない「貧しい人々の役に立つ仕事がしたい」という想い、そしてマラウイで感じた経済活動活性化事業への関心。援助や支援ではなく、持続的な貧困削減を目的としたビジネスができないか、そう考えていた時に偶然出会ったのが、ボーダレス・ジャパンでした。この会社ならば、頭の中で描いているビジネスが形にできるかもしれない、そう思い応募しました。そして、現在に至ります。

現在の私の目標は、「ビジネスを通して雇用を創出し、開発途上国の貧困削減に貢献すること」。収益性の高い商品を提案し、販売を拡大することで、より多くの貧しい人々の生活を変えていきたいと考えています。社会問題を解決するソーシャルビジネスしかやらないボーダレスだからこそ、それができる環境であると信じて、新規事業の立ち上げに向けて、日々邁進していきたいと考えています。

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。