座右の銘
人生は美味しい、楽しい、嬉しいの連続
なぜこの仕事をするか
失敗しても何度でもやり直せる社会、立ち上がろうとする人をみんなが応援する社会に生きたいから。
わたしの履歴書
静岡県の病院で、生まれつき心臓に穴が開いて誕生。0歳9か月で手術し、人生最大の窮地を乗り越えました。
後々「これを乗り越えたのだから、もう人生何が起こっても私は大丈夫」と解釈し、自分を保つ良い力の抜け感で生きるベースになっています。
また「助けてもらった命」という認識があります。
幼稚園から高校まで千葉県で育ちましたが、小学校4年生の途中から5年生が終わるまでの1年半、父親の仕事の関係で静岡県の小学校に転校しました。
自分の生きる世界がぐんと広がったこの経験が、今いる世界から飛び出し遠く新しい世界を見たいという、その後の様々な選択に影響しているのだと思います。
そして大学3年生の時に、南米エクアドルと出会います。
旅行ではなく外国に住んでみたいという思いから、NGOの海外ボランティアプログラムに申し込みました。
様々な国を選べたのですが、その時たまたま見ていたページがエクアドルだったので、じゃあここ!と選びました。
人生において最も冴えわたった、素晴らしい選択です。
エクアドルでは、首都キトにある女性刑務所内にある託児所で6か月間働きました。
ここで見たこと、知ったこと、感じたことが今進めているエクアドルでの事業の理由です。
詳しくはぜひ事業紹介ページをご覧ください。
当時大学生だった私は、社会復帰を諦める受刑者たち、刑務所で幼少期を過ごす子ども達に、人生に希望を持ち、上を向いて生きてほしいと思い、彼女たちに花火を見せようと決意しました。
誰が見ても、どこから見ても丸くて色鮮やかな美しい花火。上を向かないと絶対に見れない花火。
これだ!と思い、大学卒業後、エクアドルで花火を打ち上げるために東京の花火会社に就職しました。
2018年に日本とエクアドルが外交関係樹立100周年を迎えた際に、エクアドルで花火を打ち上げることを目的にプロジェクトを立ち上げました。
残念ながらエクアドルで打ち上げることはまだ叶いませんでしたが、エクアドルとご縁のある福島県猪苗代町で毎年開催される花火大会の中でエクアドルパート花火を打ち上げさせていただき、その様子を映像や、子ども達には花火のお話にして届けました。
猪苗代町での花火大会の後、約10年ぶりに刑務所を訪問したのですが、私がボランティアをしていた時に見た現状と何一つ変わっていませんでした。
「ここを出たら今度こそ子どもの為に人生やり直したいけれど、だけどどうせ無理。元受刑者になんて仕事はない。」
改めて突き付けられた受刑者の言葉に、心をもやもやさせながら日本に帰国しました。
「彼女たちに雇用を生まないとダメなんだ。」
やっとそこに考えが至り、そんな時に出会ったのがボーダレスアカデミーでした。
同時に、「人生は一度きり。自分が生きたい場所で、思い切り挑戦しよう。」という覚悟が決まりました。
私はエクアドルで生き、この社会課題を絶対に解決したいです。
せっかく自分が今この時代に生きているのに、この課題を自分の子ども達の代にまで残すのはあまりにも情けないです。
そして大学3年生のあの日、ボランティアプログラムに記載されていたただの5文字のカタカナに過ぎなかった「エクアドル」は、今ではその言葉の後ろに、今までこの国が出会わせてくれた沢山の大切な人たちや想いがあります。
エクアドルに出会ってから、すべてのことがむこうから出会いに来てくれている感覚です。
これはもう、どこの神様かわかりませんが、やれ!としか言っていないです。
同時に、エクアドルで彼女たちに花火を見せたいという想いは変わりません。
大学生の時に「これだ!」と思ったあの直感は絶対に間違っていないと思います。
人はいつも、空や星や月を見て、上を向いて生きてきました。
私たちは上を向かずには生きていけません。
一度や二度、三度、四度、何度でも失敗した人間が、価値を生み出すプロフェッショナルとして働くことで何度でも人生をやり直す。
そして自らが上を向き、さらに人に上を向かせるような集団になる。
そんなチームをこれからエクアドルで作っていきたいと思います。