座右の銘

人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 仇は敵なり(武田信玄)

なぜこの仕事をするか

「まちづくり」をする上では、やはり「人」がコアになってきます。
立派な箱があっても、中にいる人によってまちの形は変わってきます。住む人自身が楽しんで、誇りを持って暮らせる。そんなまちをたくさん作ることに人生をかけています。

わたしの履歴書

伊藤 綾

1985年7月、新潟県柏崎市生まれ。

父方、母方の祖父母がともに小売店を開いていましが、親の代で継承されずに廃業。子供ながらに商いに興味があって、実は継ぎたいと思っていました。 小さい頃からゲーム三昧。「桃太郎電鉄」「ザ・コンビニ」「バーガー・バーガー」「シムシティ」と、経営色の強いゲームをやりこんでいました。中でも、一番好きな世界は「シムシティ」。これが、まちづくりで生きていく!と決めた種になっています。

中学校に入ってからは、学校に行っても授業に出ずに遊んでいました。進路選択で、このまま地元にいては変われないと思い、自分を知らないところへ行こうと寮のある高校へ進学しました。高校に入って、寮生活、部活(女子サッカー)とエンジョイし、「環境が変われば人は変われる」という原体験をしています。

慶應義塾大学へ進学。生まれながらにすごい人たちをたくさん見て、劣等感のあまり再び自信をなくします。授業にも出ずフリーター並みにバイトを掛け持ちする毎日。
就職活動では、不動産業を軸に応募をしていました。大学時代から通い出した「フジロック」で、久しぶりに新潟・湯沢を訪れて、大規模なリゾート開発の果てに衝撃を受け、総合ディベロッパーで持続可能な開発をしたいと志すようになりました。結果は、他業種も含め80社ほど応募し、全滅!元々低めの自己肯定感は更にどん底へ。 コミュニケーションに課題があると自覚していたので、ようやく決まった1社目では、あえて営業職を希望しました。営業で結果を出せたことが自信になり、ディベロッパーへの転職に挑戦。
2社目、イオンモール株式会社では約7年勤めました。福岡県のモール内で施設管理に携わった後には、外部へのプロパティ・マネジメント受託を統括する部署で、新規開拓から大規模リニューアルの計画・リーシング・数値管理、最後は事業統合のリーダーを経験させていただきました。

商業施設の現場から、様々な地方を訪れ、魅力的な地域資源があるのにもったいない状態になっている姿を目の当たりにしてきました。地域資源を活かしながら更に地方を面白くするにはどうしたら良いのだろう。経済的にも持続・自立させるために、今までの社会人経験を生かしビジネスの力でなんとかしたいと、現場を新潟県湯沢町に絞り起業のプランを練りはじめました。

自分自身も、好きなまちで好きなように生きたい。家族との時間も、仕事も、趣味も思いっきり楽しみたい。
そうして移住計画を立てているうちに、同じようにワークライフバランスを求めて地方暮らしを望んでいる一方で、地方とのマッチングが進まずになかなか動けない方が思ったよりも多い事実に出会いました。
ここで私の原体験である、環境が変われば人は変われる、という所とつながります。地方暮らしを楽しんで輝く人を増やしたい、そんな人が増えることによってまちも輝いて欲しい。移住者を増やすことが、地方の活性化につながる。それが私の事業、「きら星」の着想になっています。

当初は、1人で起業しようと考えていましたが、まちづくり事業をするには、ヒトモノカネが多く必要になることはわかっていました。また、きら星が提供するサービスは、多くのまちで横展開するべきだと思い、理想の起業の形を探している中でボーダレス・ジャパンのことを知りました。理念に共感した私は、自分のプランを持ち込んで、会社を辞めてボーダレスに飛び込んでいたのです。

これから、たくさんの人と出会い、その人生に触れることができると思うととてもワクワクしています。
今までの全ての出会いに感謝し、未来に起こる多くの出会いに素敵な華を添えられるように日々を丁寧に生きていきたいと考えています。

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。