座右の銘
意志あるところに道は開ける
なぜこの仕事をするか
夫婦の問題を「ふたりの問題」で片付けず、早い段階でSOSが出せる社会にしていくことがあらゆる家族問題の予防に繋がり、社会全体の幸福度向上につながると信じて取り組んでいます。
わたしの履歴書
1984年生まれ、奈良県出身です。
幼い頃は活発な性格の反面、病弱でてんかん持ちだったので両親や祖父母には沢山の心配と苦労をかけました。
まだ自分の病気を理解していなかった私は定期的な脳波の検査を「変身ごっこ」だと聞かされて、頭にへんな線を沢山繋がれて眠らされることにいつもワクワクしていました。
検査が終わったら母とふたりで不二家のぺこちゃんサンデーを食べるのがお決まりのコース。
母は大変だったと思いますが、私にとっては良い思い出です。
父は体育教師で野球部の監督でもあったので、娘にスポーツをさせたくて仕方なかったみたいです。
ソフトボール、陸上競技、水泳、スキーにマラソン・・・色々経験させてもらったけれど、少し足が速かった程度でスポーツは全般的に苦手でした。
忘れもしない小学1年生のクリスマス。サンタさんには少女アニメの魔法グッズを届けてもらえるよう手紙を書いたはずなのに、目を覚ますと枕元にそびえ立っていたのはバッティングマシン。まさかと思って横を見ると妹のところにはバットとボール。
クラスの誰よりも早くサンタさんの正体に気づいてしまいました。
そんな父の期待とは裏腹に、私がのめり込んだのは音楽です。
祖父にピアノを習い、小学校ではトランペット、中学〜大学まではサックスと、学生時代は音楽一色。
高校は吹奏楽の強豪校に進学し、朝から晩までコンクールやマーチングフェスティバルの練習、大学時代はインディーズバンドに所属して練習やライブツアーに明け暮れていました。
単に楽器の演奏が好きだっただけでなく、みんなで同じ目標に向かって一つのものを作り上げる過程が好きだったんです。共に夢を追いかけられるアツイ仲間に出会えたことが幸運でした。
当時は本気でメジャーデビューを目指していたので就職の予定もなかったのですが、大学3年生の冬、予期せぬ事態が発生し突如バンドが解散に。
慌てて就職活動をした私は、音楽活動に未練を残したまま、中途半端な気持ちで社会人になりました。
音楽と距離を置くために、サックスは持たずに上京。
最初は不安でしたが、始まってみると仕事もチームで一つの目標に向かってプロジェクトを進めるという点では音楽活動と似ていて、いつの間にかやりがいを見つけて夢中になっていました。
仕事の面白さや社会人としての基礎を教えてくださった当時の上司・先輩方には本当に感謝しています。
起業につながる転機となったのは、結婚後の不妊治療の挫折です。
圧倒的な努力は必ず報われると信じていたけれど、努力だけではどうにもならない現実を目の当たりにして無力感に苛まれ、自分の感情をうまくコントロールできない時期がありました。
でもこの経験があったからこそ、今ここにいる自分の存在すらも当たり前ではないということに気づくことができ、残りの人生を何のために使うのか深く考える機会が持てたので、今は私にとって必要な経験だったと捉えています。
そして、子供の有無にかかわらず夫婦が自分たちらしい家族の形を見つけられるような支援がしたいという思いで、2019年4月にフタリノを立ち上げました。
それから2年半。事業を通して実現したい未来はどんどん鮮明になるのに、実力不足でいつまでたってもそこに近づけない。そんな自分に対する絶望感と焦りに駆られていたとき、ふと目に止まった本が、ボーダレスの本でした。読み終えた瞬間、この環境に飛び込むことが目指す社会を実現する最短ルートだと確信し、すぐにホームページを検索。
当時締め切り間際だったボーダレスアカデミーに飛び込んだのがきっかけで今に至ります。
夫婦の問題は深刻なことほど表に出しにくく、「2人のことは2人で解決すべき」という固定観念や「身内の恥を晒すなんて」という風潮が邪魔をして、1人で抱え込んでしまう人が多いのが現状です。
その結果、問題が長期化することで精神的にバランスを崩したり、新たな家庭問題の火種が生まれたり、子供に悪影響を及ぼすケースも多いので、「ふたりの問題」で片付けず早い段階でSOSが出せる社会にしていきたいと考えています。
「夫婦」という切り口から社会全体の幸福度を高めることに、人生をかけて取り組みます!