座右の銘

 

メッセージ

大学2年で一人訪れた、タイ・ビルマの国境地帯。
地元の人しか利用しないような、小さな乗合バスの中で出会った2人のカレン民族が、私の人生を大きく変えました。それ以来、アメリカやタイの町や難民キャンプで暮らすカレンの人々と多くの時間を過ごし、彼らはいつしか、家族のように大切な存在になりました。
楽しい時間の合間に見える、難民としての苦しみ。家族である彼らが幸せに暮らすためには、自分に何ができるのか。NGOやNPO、様々な選択肢がありましたが、これまで出会ってきたカレンの家族や友人と「共に」、みなが安心して、「幸せ」に暮らせる社会を持続可能的につくるために、ソーシャルビジネスを選びました。
いつ終わるか分からない支援ではなく、自力で生きる道を共につくり、安心して幸せに暮らせる社会にする。それを、「夢」ではなく、リアルにします。

わたしの履歴書


 すべての始まりは、大学1年の6月。教授から運営を任された講演会でした。そのゲストは、ビルマ(ミャンマー)から難民として日本に逃れてきている方で、難民になった経緯、彼が支援する難民キャンプの現状、その後の日本での生活を話してくれました。日本国内でも難民の人たちが非常に辛い経験をしていることを知らなかった自分への怒りと、何かしなければならないという情熱がこみ上げました。
 それからすぐに、NGOやNPOに片っ端から連絡し、講演会やボランティアに参加しました。「どうしても学生の力でなんとかしたい」という強い思いがあり、学生団体を探しましたが、当時は在日難民をサポートする学生団体がほとんどなかったので、自分で立ち上げたんです。活動を通して、難民となったたくさんの人々と出会いました。支援者として見られることもあれば、友人や家族のように関わることもありました。
 こうして「難民」というキーワードに引き寄せられる中、特に大きな転機となったのが、大学2年の一人旅です。移民や難民の多い地域へ行ってみようと思って足を踏み入れた、タイ・ビルマの国境地帯。地元の人が利用する小さな乗合バスの中で、私の人生を変える二人のカレン民族との出会いがありました。1人は難民キャンプからアメリカへ、政府プログラムで再定住した男性、もう1人はキャンプから抜け出し、タイの町で生活する女性です。それ以来、2人とはそれぞれにアメリカやタイで生活を共にすることになり、自分にとって本当の兄、姉のようになりました。
 この出会いが、「難民問題」を単なる社会問題としてではなく、自分の家族の問題、「自分の問題」として捉えるきっかけになりました。「難民」と呼ばれる人々との間に、「難民と私」ではなく、「自分の家族と私」、そんな関係が築かれていったのです。



 それ以来、出会いが出会いを生み、たくさんのカレン民族の人々と関わることになりました。
 移民・難民問題を勉強するために1年間留学したアメリカでは、ほとんどの時間を、タイで出会ったカレンのお兄さんやその家族と共に過ごしました。冬のグランドキャニオンでスコールの中キャンプをし、食あたりで苦しんだこと。ふざけて出かけた真冬の五大湖でのキャンプで凍死しかけたこと。カレン民族の新年のお祝いでは、訳もわからずステージで踊らされ顔を赤らめたこと。
 難民キャンプでは、川が氾濫して総出で修理したり、週末のお祈りのため教会へ行ったり、耳に虫が入りうめき声をあげるおじさんを見て必死で笑いをこらえたり、何気ない思い出もたくさんあります。アメリカやタイの町、難民キャンプ、様々なところでこんな風にカレンの人たちと友人として、そして家族として生活してきました。
 しかし、その中で見えたものは、決して楽しい部分ばかりではありません。これまで生活を共にしてきたほとんどのカレンの人は「難民」であり、ビルマ国内の内戦や人権侵害を逃れ、国外へ出た人々です。アメリカへ行っても最低賃金の仕事に就くしかなく、貧困層に追いやられる。学校からドロップアウトし、ドラッグやギャングなどに手を染めてしまう若者もいる。難民キャンプ内では、権利が制限され、雇用や教育の機会も限られる。キャンプから抜け出してタイで働く人も就労資格がない場合が多く、搾取されてしまう。タイで難民として生きる人々は、政府による難民の帰還が噂されても、政治・経済・社会的にまだまだ安定していないビルマ国内への帰還に不安を抱いている。  自分にとって大切な人たちがそういった現状に直面していることを、家族や友人として、常に間近で見てきました。


 大学卒業を控えて就活を始める時期に自分の頭に浮かんだのは、これまで共に過ごしてきたカレンの友人や家族と共に、社会を変える仕事がしたいということでした。
 彼らが難民状態に終止符を打ち、幸せに暮らせる社会を作るために何ができるのか。NGOやNPOを始め様々な選択肢がありましたが、「ソーシャルビジネス」という世界に飛び込むことに決めました
 その理由は3つあります。「持続可能性」、「支援への依存」、「カレンの人たちとの関係性」です。
 現在タイ・ビルマ国境では支援金の流れが変わり、キャンプや移民学校などでも支援の削減・撤退が見られます。支援に依存「せざるを得ない」人たちが不安に陥るのを、目の当たりにしました。特にキャンプでは教育や就労の機会が限られ、支援に依存せざるを得ないので、若者は自分の力を活かす場所がない無力感を感じています。
 ソーシャルビジネスなら、上手くいけば持続可能性が担保できますし、彼らは自ら働いて生計をたてるので、自力で生きる道を作れるはずです。キャンプ出身の人たちにとって、そこで生まれる彼らの「生きがい」はすごく大きな意味を持つと思っています。
 また、これまで出会ってきたカレンの人々は友人であり、家族です。NGOで「支援者」となることは違和感があります。あくまで、彼らが幸せに暮らせる社会を「共につくり上げる仲間」でありたい、という強い思いを持っています。
 副社長の鈴木さんは、「思い」だけを武器に面接に挑んだ私の話を熱心に聞いてくださり、その場で採用をくださりました。今まで、「夢のような」話をする自分に熱心に耳を傾けてくれる人はいませんでした。「夢のような」話を、批判もせず、「夢」だと笑わないこのボーダレスで、「夢のような」話をリアルにしたいと思い、入社を即決しました。
 これまで出会ってきたカレンの家族や友人と「共に」、みなが安心して、「幸せ」に暮らせる社会を持続可能的に作りたい。だから、ソーシャルビジネスにチャレンジします。

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。