座右の銘

 

なぜこの仕事をするか

「俺たちは生きてない、死んでないだけだ」難民キャンプで聞いた言葉は今でも耳から離れない。世界には生まれた場所、環境によって「選ぶ権利」を奪われた人達がいます。僕は、「誰もが自分の意思で道を選べる社会」をつくりたい。

わたしの履歴書

1993年生まれ、京都府出身。 ボーダレスグループ1のお調子者で、福岡オフィスのレジェンド的人気者(自称)。 半年に一回のグループ世界会議の写真撮影では、常にセンターをキープ。愚直さと熱量では誰にも負けません。事務作業がすこぶる苦手です。

幼少期から、平凡な過程に育ち、普通の公立中高を卒業。まさかソーシャルビジネスという世界で起業することになるとは思っていませんでした。

今思えば、大阪出身の商売っ気の強い母からはコミュニケーション能力と商売の基礎を、曲がった事が嫌いな父からは正義感と愚直さを学び、実は着々とソーシャルビジネスの階段を登っていたのかもしれません。


そんな僕の転機は2011年の春、大学一年生の頃でした。 ミャンマーという得体の知れない国から「難民」として日本に逃れてきた人に出会ったのがきっかけでした。 彼の話は壮絶で、まるで映画を見ているよう。今までの僕の平凡な暮らしとはかけ離れていました。彼とはすぐに意気投合し、翌年、まだ紛争が終わっていないタイ、ミャンマー国境地帯を訪れることに。

難民キャンプは、タイのバンコクから夜行バスで12時間、そこからローカルバスで6時間田舎町までいき、さらにそこから5時間四駆車でジャングルを駆け上がったところにあります。電気も水も、電波もない山奥ですが、たくさんの素敵な出会いがありました。

彼らは、60年以上続くビルマ政府軍とカレン民族軍の紛争に巻き込まれ、タイ側へ逃れた人達です。 キャンプの外に出ることは基本的に許されず、就労機会はなく、学校を卒業しても未来がない。食料はNGOによる支給のみで、畑を耕すことも許されません。友達の1人が僕に漏らした一言が今でも忘れられません。「俺たちは生きてはない、死んでないだけだ」と。難民キャンプの帰り道、あまりにも彼らと自分の境遇が違いすぎて、1人で泣いたのを覚えています。僕は自分の意思でここまできて、自分の意思で帰っていく。だけど、彼らはここから出ることも許されない。生まれながらにして、選択することを奪われた人達なんです。世界の不公平に、不平等に、苛立ちとやるせなさを覚えました。


 

それからの学生生活はカレン民族の人達と常に時間を過ごしてきました。いろんなご縁が繋がり、タイ、ミャンマー、日本、アメリカ、どこへ行ってもカレンの人達と生活を共にし、気づけばいつも彼らのコミュニティの中にいました。


彼らとの時間を通して、家族の大切さ、人を大切にすることをたくさん学びました。僕に居場所を与えてくれた彼らのために、家族同然に受け入れてくれた彼らのために、大好きな彼らのために、僕は起業を決意しました。

大学卒業後は、就活もせずに、ミャンマーで最速で起業できる場所ということでボーダレスジャパンを選びました。 入社後は、バングラに雇用を作るアパレル事業Corvaや、シリア難民向けの新規事業立ち上げ、リユース事業立ち上げなど、スタートアップ期の会社の最前線で仕事をし、ビジネスの基礎、起業家としての心得などを一年半かけて学びました。この1年半を通して、たくさんの起業家に出会い、様々な価値観に触れる中で、ある特定の民族に偏った考え方ではなく、ミャンマーの全ての人たちのために、世界の人たちのために働きたいと思うようになりました。

現在はボーダレスリンク という農業事業をしていますが、数年後にはミャンマーで社会起業家のためのプラットフォームを作りたいと思っています。10年以内の目標は、
ミャンマーでソーシャルビジネスを1000個作ること です。

たくさんのソーシャルビジネスがあることで、生まれながらにして選択肢を奪われた人々が「自分の道を自分で選べる世界」をつくれると信じています。待ってろミャンマーの人たち!待ってろ世界中の人たち!世界はもっとワクワクする場所だから!

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。