座右の銘

The journey that makes us

なぜこの仕事をするか

東南アジアの子どもの貧困解決に取り組み、子ども達とその家族が暗い顔を見せることがない様に大好きな彼ら、これまで出会ってくれた人達に恩返しし、関わってくれた人達を幸せにしたいから。

わたしの履歴書

1999年東京都で生まれ。

私がフィリピンに初めて訪れたのは、小学校2年生。 ある日、車に乗っていた私たちに、当時の私と同い年くらいの子ども達が物乞いをしてきました。
「お金をあげてはいけないよ」「裏には大人がいる」「彼らのためにならないから」という父達の言葉が理解できず、困っている人を助けてはいけないことに戸惑い。
同時に同い年くらいの子達が、兄弟や家族のためにお金を稼いでいるという現状に衝撃を受けました。

中学・高校に上がると国際協力を仕事にされてらっしゃる方々のお話を聞く機会が多くなり、授業でも社会問題や国際社会の勉強を行う中、私も国際協力を仕事に国際機関で働き、社会の課題を解決できる人になりたいと考えるようになりました。

そして、国際学部への進学。
大学に入学したら現場に行く!と決めていた私は、長期休暇にとにかく様々な東南アジアの国にいきました!

ある日、大学の授業で、ソーシャルビジネスをされている方のお話を聞く機会があり、私のやりたい方法はこれかもしれないと思い始めるように。
しかし、当時の私はビジネスとは何かも、それで生きていけるのかも分からず、とりあえず経験してみるしかない!と、カンボジアでの事業立ち上げインターンに参加しました。
結果は利益を出すことができず赤字。この経験から、このままでは「誰も幸せにすることができない」と感じ、ビジネスやマーケティングの勉強を開始しました。
2年の2月、原点であるフィリピンを再度訪問する機会があり、そこで、大きな組織が立てたプラントが始動から1週間も経たずして使われなくなった現場を目にしました。
そこから、現地のニーズとの不一致に違和感を覚える機会が増えていき「起業」という選択肢が私の中で大きくなっていました。と同時に、絶対フィリピンに帰ってきたい、ここが私の道だ。と再認識する機会にもなりました。

大学2年の夏からはマレーシアへ留学。貧困の子ども支援を行うNGOで活動し、子ども達と接する中で、ふと「私が5年後10年後、力をつけて起業しても今目の前にいる子ども達は成人してしまう。この子達の選択肢は増やせないな」と感じた瞬間がありました。この時「今最短でやれる方法を探さなくてはいけないのでは?」という思いが芽生え、30歳くらいになど悠長なことを言ってる場合ではない!と感じました。
しかし、ビジネスのノウハウもスキルも足りない、その中でもいち早くインパクトを出せる自分に成長したいと思い、ボーダレスでなら一番早くダイレクトに成長できると考えた、入社を決めました。

ボーダレスでは「東南アジアの子どもの貧困解決」に取り組み、将来は国問わず「貧しいを理由に何かを諦める人のいない社会」を作りたいです!
そのために、「関わった人全てを幸せにする」ことのできるよう日々自分を磨き、成長し、社会に成果と人としての存在で恩返ししていけるよう生きていきます。

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。