「ビジネスの力を使って社会問題を解決する。それが社会起業家だ。」
私がボーダレスグループに所属を決めたのはそんな思想に共感し、自分もそんな起業家になるんだと意気込んでいたからでした。

私がボーダレスに出会ったのは大学4年生のとき。タベモノガタリという団体を立ち上げ、起業を目指してとあるビジネスコンテストに出場したところ、「ボーダレス・ジャパン賞」という企業賞を受賞し、ボーダレスに参画できる権利をもらいました。
株式なんて正直どうでもよくて、竹下友里絵(筆者)が理想とする社会を実現するために"最速で"事業ができる環境を求めていた私にとってボーダレスはこの上ない環境でした。

学生の頃の私は「世界の一方でたくさんの食べ物が捨てられているのに、世界のもう一方では食べられずに死んでいる人がたくさんいる」という食の不均衡に対して問題意識を持ち、国際協力の分野に興味を持ち始めました。
そこには貧困・飢餓など、根深い負のスパイラルがありました。それは誰がどう見ようと「社会問題」と呼べるような世界の現状です。

私はそれから農業のことを学び始めます。農家が汗水たらして作った野菜が流通の効率化によって廃棄されている、規格外野菜と呼ばれるものがあることを知ります。確かに、もったいない!けれど、土にすき込むから自然に返るし、農家も廃棄を前提に生産しているから割り切っているケースも多い。これは本当に社会の負なのだろうかと問うたこともある。いや、問わざるをえなかったのです。

そうすると、「社会問題」とは一体なんなんだろうと考え始めたのです。
政治・経済の仕組みというような社会のルール・構造から発生する問題を指しているのか、はたまたLGBTや差別偏見といった思想が原因で起きているものもある。

貧困って100人いたら98人ぐらいは問題だ!って言いそうじゃないですか。
差別って100人いたら95人ぐらいはダメだ!って言いそうじゃないですか。

じゃあ難民は?地方衰退は?メンタルヘルスは?服の大量廃棄は?フードロスは?動物福祉は?
100人いたら何人がそれは社会問題だよね〜っていうだろうか。
1個人の苦しみ・問題が社会の問題になる瞬間ってなんなんだろうか、と。

私的には意外と問題自体の大きさではなくて、その1人の人の苦しみを、いったい何人の人が知っているのかということの方が関係がある気がしています。

ボーダレスグループでは社会問題とは社会の負であると定義しています。
その負をビジネスの力を使って解決するのが、ソーシャルビジネスであり、そんなビジネスを展開するのが社会起業家(ソーシャルアントレプレナー)だと。

私が取り組んでいる「食」という分野は、生きていくために食べるという生存するための側面もあれば、食文化といった深く人の思想が絡みつく文化的側面ももっている。特に後者は「正解」なんてものが存在しないのです。何が問題かだなんて、信じるものによって違うんだから、人によるんです。

例えば「旬を楽しむ」ということ。これ自体は素敵なことじゃないですか。でも「日本人は旬を楽しんでいない!スーパーには年がら年中トマトがある!」みたいなのって社会問題なのか?となりませんか?

社会起業家は良い社会づくりのためにビジネスをします。
しかしそれは、社会の負の解決だけで事業展開を考えていてはいけないと思うのです。
私の場合フードロスという問題に取り組みながらも、旬を大切にしたり、人と人の関わりを大事にしたり、いわゆる社会の負ではなさそうな(誰かが苦しんでいるわけではないという意味で)こだわりをたくさん持っています。
そしてそのこだわりは、社会問題の解決だけじゃなく、創りたい社会像を描いているからでてくるこだわりなのです。

特に学生起業でソーシャルビジネスにこだわって事業を始めようとする場合、問題の解決ばかりが先走って、そもそもの理想を描くことを忘れてしまいます。
理想があるから問題が見える、だから課題と原因がわかる。理想があるから「これだけは譲れない」というこだわりが生まれる。

社会の負を解決するだけではまたきっとどこかに負を生み出してしまうだけだと思うのです。
自らの理想を描き、こだわりを見つけ、それをソーシャルビジネスに組み込むことによって、本当の意味での社会づくりだと言えるのではないでしょうか。