
東日本大震災から4年。
先週私は、その現場である福島に行ってきました。
今回のブログでは、福島で過ごした日々を通して私が見て・感じたことをご紹介したいと思います。
福島ですべきことがあるんじゃないか?
多くの犠牲を伴った震災・原発事故からもう4年が過ぎた今、
時折流れるニュースや本・ドキュメンタリー映画で伝えられているその内容に触れる度に、人々の記憶から、そして自分の記憶から、あのときの記憶が徐々に小さく小さく頭の片隅の方へと行ってしまっているような気がしていました。
「忘れてはいけないはずの事を自分が忘れ始めている」
そんな虚しさを感じる日々の中で、被災された方たちの「まだ終わってなんていない」という言葉や福島・チェルノブイリの映像を見るたびに、
「やっぱりこのまま風化させてはいけない」
「今、すべき事・出来る事ががあるんじゃないか」
と、そんな想いが抱えて私はここ数ヶ月、一年を生きてきました。
子どもを放射能から守りたい
お話を伺った子ども未来ネットワークの方達。岡山にて保養プログラムや地域コミュニティ化への取り組みなど多くの方をサポートしていらっしゃいます。
私が福島に行こうと思った直接の理由は『子ども達を放射能から守れるのは大人(ぼくら)しかいない』と思ったからでした。
大地震・津波が起き、多くの被害をもたらされた東日本大震災。
そのとてつもなく大きな被害の中でも、特に私が気になっていたのが「放射能の影響」でした。
放射能の影響を一番受けやすいとされているのは『大人』ではなく細胞分裂が活発な『子ども』だと言われています。
かつて同じような原子力発電所の事故があったチェルノブイリやスリーマイル島の報告では、特に数年後から子ども達にがん・白血病、心臓疾患、障害の発生などが増えたと報告されています。
現代の科学の世界では因果関係が説明しきれないとは言われているもののその可能性と危険性を現地で子ども達と多くの時間を過ごしていた学校長や医師など多くの人が示唆していました。(反対に関係はない、言っている方もいらっしゃいます。)
放射能と健康被害の間に
「関係があるかどうか分からない。」
これが今の科学の当面の結論であって、
日本政府の発表も原発事故は『under control』、甲状腺がん等の発生は放射能の影響とは考えにくい、というものでした。
色々な立場から意見が表明されながらも、何が正しいのかが分からない。
少なくとも私の眼の前に広がる現状はこんな感じで、
頼りになるはずの国からの情報はいつも遅く、だからなのかもしれませんがその内容もなかなか信頼を寄せることが難しいと感じていました。、
でもその一方でチェルノブイリからの報告や被災した方たちからのお話を聞くたびに、「もしこうしている間に、本当にチェルノブイリからの報告が現実になってしまったら」「子ども達に何かが起こってしまったら」と私は心配でした。
「福島で苦しんでいる人たちがいるのかもしれない」
「国がなにもやらないのだったら誰かがやるしかない」と、
だから私は福島に行こうと決心しました。
福島で見て、感じたもの
事前の情報や調査から
・ 事故から4年が経つ今も、福島県内の放射線量は高くその中でみんな暮らしている。
・ 食品の放射線許容の基準値が高く、また県外の食べ物へのアクセスも良くないためにみんな不安の中で食事をとっている。
・ 国の行う検診は2年毎と子どもの成長を考えると頻度が少なく、また画像診断の結果も渡されない事から不安が残る。
このようなことを映像や人づてに見聞きしていた私はすごく不安に思っていたのですが、
実際の訪問して感じた福島は、少し語弊があるかもしれませんがごく普通の街でした。
いわき市や福島市を始め様々な場所で図った線量は
(原発近くはとても高かったりもしますが)、比較的落ち着いており私のいる福岡や東京とも変わらないところが多くありました(毎時約0.1μSV)。
「事故から2年くらいは県外産のものを選ぶのは難しかった」
と住民の方もおっしゃっていましたが、今ではスーパーに様々な県の野菜や食べ物が並んでいます。
国や県が行う子ども対象の検診もたしかに2年であるものの、民間の医療機関がそこを補完する形で独自に診療・検査をしていました。
もちろん、
国の検診自体はもっと短いスパンで、しかも甲状腺だけではなく他の項目を調べるべきですし、また食べ物に許容される放射線量の設定も高すぎるように思います。
そういったところは本来であれば、国が率先して進めるべきところであるからそうして欲しいとは思います。
自ら立ち上がる市民の方の力
NPO法人たらちねのみなさん。食品の放射能検査や子どもの甲状腺のエコー検査なども行う
NPO法人たらちねさんのセシウム量の検査機
そんな中で、訪問した福島の地で私の目に写ったのはそういった危険性があることから目を背けずに、その上で暮らしていこうとしている方々の姿でした。
・国がやらないんだったらおれ(私)がやると声をあげて食品の放射能検査を独自で行い、みんなに安全なものを提供しようとしている人たち。
・学校の通学路など、子ども達が通る場所の放射線量を図って、「こっちの道が良いよ」と子どもの安全を確保しようとしている保護者たち。
・国の検診が不十分だと考え、独自に診療をしている民間医療機関。
・かつて農業を業にしながらも、事故後は風評被害などもあって「食べ物を作るのは難しいね」と言いながら、今度は「花」を用いて福島に新たな産業を興そうと取り組む方。
私が会った方々だけでも、福島をより良くしていこうと自ら行動を興している方がたくさんいらっしゃいました。
花や蚕で新たな産業を興そうとしている川村さん
このような日々の中で色々な調査を行い、多くの方に出会って、現場を見て、聞いて出した私たちの結論は、
今現段階で新たに私たちが会社として何かを始める、というのは必要ないというものでした。
それは偏に、すでにこういった市民の方たちがとてつもない熱量のもとで事を興されているからであって、
この方たちが「助けを求める声」にやさしく、そして力強く応えていらっしゃったからでした。
現在の福島の様子を見て、このような方々に出会い、ほっとしている自分がいます。
そしてまた「すごいな」と心から思い、刺激を受けた自分もいました。
もちろん今後福島では帰還政策が始まろうとしていますし、
これから生じてくる課題もあるでしょう。だから今後も福島を見続けていきたいと思っています。
そして本当に求められる時が来た場合には、改めて力になれたらと思っています。
最後に
今回の福島への訪問を通して、
私は改めて「自分の目で、現地を見る」ことの大切さを深く学びました。
外にいると分からない事がたくさんあります。
色々な方が発信する情報は、おそらくどれも正しく、どれも一面的です。
だからこうして私が書いた今回の記事も、一面的な情報です。
だからこそそういった一面的でたくさん存在する情報を、受け取り解釈するのは自分であって、そのためには「現地を自分の目で見る」ことが大切になってくるのだと思います。
感じること・考えることは人それぞれ。
でもみんな「現在の状況」をより良くしようとしたくて発信している。
ぜひこのブログを見てくださった方が、どんなことでも良いので、現地へ行ってみようかなと思って頂くきっかけになったら嬉しいです。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。