こんにちは!韓国のソウルで、国際交流シェアハウス「ボーダレスハウス」の運営をやっていますあややです。(恥ずかしいけどあだ名です。笑)

ボーダレスハウス東京で4年勤務後、今年5月からボーダレスハウスソウルで、韓国の仲間と共に23軒のシェアハウスを運営しています。

日韓関係が深刻化している今、韓国での生活を心配をされることもありますが、私はいたって普通に、韓国のメンバーたちと働き、家では韓国のハウスメイトたちと、毎日の生活を共にしています。

韓国語が話せるわけでもなく、K-POPアイドルが好きだったわけでもなく、むしろ、大学時代にスワヒリ語を学びアフリカと関わる仕事がしたいと思っていた私。。。

そんな私が、なんで今、韓国で働いているのか? 今回のブログでは、私がボーダレスハウスにジョインした経緯から、韓国へ来た理由について、お伝えしたいと思います。

◆ざっと経歴◆

・1990年2月生まれ、神戸出身
・兵庫県立N田高校をビリ卒業
・1浪し大阪大学外国語学部スワヒリ語専攻入学
・休学しタンザニアでインターン
・中古車販売会社の新規事業部でアフリカへ輸出営業1年
・転職、ボーダレスハウス東京でシェアハウス運営4年
・2019年5月、ボーダレスハウス韓国へ移籍

◆なぜスワヒリ語?!◆

私は大学でスワヒリ語を専攻していました。そもそもなんで「スワヒリ語」だったのか。よく聞かれます。笑

真面目な話、アフリカでの国際協力に関心があったからです。
スワヒリ語は東アフリカで話されている言語なのですが、高校時代から国際協力の仕事に興味があった私は、国際法学や教育開発を学べる大学へ行きたいと思っていました。でも学力的に難しく、じゃあまず「現地のことを学べるところ」へ行こうと決め、外国語学部にしました。

専攻は25の言語から選べたのですが、スワヒリ語専攻が1番、国際協力について学べそうでした。あとは単純に、他の言語よりも好奇心が湧いたため選びました。

(↓タンザニアにて)

◆アフリカでの経験◆

入学してからは、スワヒリ語以外にも、アフリカ経済、アフリカ文学、文化、他のアフリカの言語なども広く学び、国際協力という分野よりも、アフリカの文化や人へと関心が高まっていきました。

就活になり、何らかの形でアフリカと関われたらと、アフリカと関わりのある会社を受けました。が、うまく行かず、まずは実際にインターンとしてタンザニアで働いてみることに。

そこでは、現地の人たちと、同僚として、"開発"する人として、ご近所さんとして、旅行者として、いろんな形で関わることができました。いろんな面を自分の目で見て感じることで、自分自身がアフリカに対して偏った見方をしていたことに気づきました。現地の人の口から、「日本って経済大国で天国だと思ってたけどそんなやったらタンザニアの方がいいわ」という言葉がでてきたり、お互いの幸せの定義について話したり、「お互いの国のあるべき姿とは?」なんて深い話をすることもありました。

"バックグラウンドの違う者同士で話すことで、より視野が広がり考えを深められる、自分の育った国について省みることができる"という実体験。

これが今の私の活動の原点になっています。国際協力はもちろん重要ですが、自分たちの国は自分たちで良くしていかないといけない。資本主義がすべての国で成立するとも思わないし、どの国もその国にあった発展の仕方をしていくべきだと思うようになりました。

そして各国がそう発展していくために、未来を担う若者たちが、いろんな国のあり方やそこに暮らす人のことをシェアしあえたら。広い視野を持ち、お互いに理解し合って助け合いの気持ちを持てたら。すると世界はもっとよくなっていくんじゃないか。単純ですが、そう考えるようになりました。そしてそれを実現させられる国際交流の機会がもっと世界の各地にあったらいいのに、と考えました。

(↓タンザニアでのバス待ち)

◆中古車輸出からシェアハウスの運営へ◆

卒業後はある程度スワヒリ語が話せたので、「スワヒリ語 採用」とググって1番最初にでてきた会社にご縁をいただきました。中古車販売会社の新規事業部で、日本の中古車の輸出営業と輸出事務を経験。

ビジネスがどう回っているのか、会社という大きなチームで何かを成し遂げることのやりがいやインパクトを、その会社では教えてもらいました。スワヒリ語を毎日使えて楽しかったけれど、一方的な販売の仕事ではなく、人の顔が見えて相互関係を構築できる仕事がしたいと思うようになり、転職を考えることに。

大学の同級生に相談をしたところ、その子が働いていたボーダレス・ジャパンを紹介され、私はついにボーダレスハウスと運命の出会いを果たします。笑

「国際交流シェアハウスで、社会から差別偏見をなくす」というソーシャルコンセプト。自分がアフリカで抱いた想いと完全に一致していました。社長から話を聞いたその場で、ここで働かせてください、と頼み(千と千尋風)、採用してもらいました。(そして名前はあやこからあややに。。)

(↓入社当時のミーティング)

◆東京での4年間◆

今までいろんな出会いと経験の中、いろんな思考を巡らせ活動してきたつもりでしたが、実際の私はコミュニケーション力が乏しく、仕事が早いタイプでもなく。

シェアハウスマネージャーとして働く中でたくさんの入居者さんや、いろんなトラブルにも向き合う中で、悩むことは多々あり、悩みすぎて病んだ時期もありました。笑 周りに迷惑もかけましが、だからこそ得たものがたくさんあったと思っています。自分の弱点を知り、入居者さんからも、メンバーからも、仕事のスキルだけでなく、人として大切なことをたくさん学びました。

そして、入居者さんがボーダレスハウスに入居して変わっていく姿を目の当たりにするたびに、この価値をもっと拡げたい、世界各地に国際交流コミュニティをつくりたい、そういう想いが強まっていきました。日韓台にとどまらず、他のアジアや他の大陸にも、ゆくゆくはアフリカにもと。

うちのシェアハウスネットワークを使い、海外へ行く機会を持てない人が気軽に知らない国を訪れその国を知れるきっかけをつくれたら。海外へ行けなくても国内で国際交流できいろんな学びを得られたら。そんな拠点が世界各地にあれば。

なかなか前に進めず悩んでも、その想いが消えることはありませんでした。

(↓準備と緊張で直前まで吐きそうだった韓国台湾合同ミーティング)

◆韓国への出張◆

去年の3~5月、韓国のボーダレスハウスに出張滞在する機会がありました。ヘルプでの出張でしたが、これが、私自身がボーダレスハウスの価値を再確認するきっかけになります。

韓国は受験戦争が激しく、就職も難しい社会。
基本的に親は教育熱心らしいけど、もちろん皆が大学や留学に行くわけでも行けるわけでもなく。

私の最初のルームメイトは、高卒だけど海外の大学で生物の勉強をしたいという夢を持っている同い年の会社員の子でした。長い一人暮らしの末、英語を習得するために一大決心をしてボーダレスハウスへ入居。私が出会った時点で2年ほど住んでいて、英語はすでにペラペラ。言語だけでなく、いろんな国のハウスメイトと話をし、いろんな価値観に触れることで、人生の選択肢が増えたと言っていました。

次のルームメイトは、美容師アシスタント。
海外での美容師業や美容事情に興味があるからという理由で入居。他のハウスの英語話者の入居者さんを紹介すると、熱心にランゲージエクスチェンジをし、私の影響で日本語の勉強も始めました。

こういったエピソードは日本のボーダレスハウスでももちろんありますが、まだまだクローズドな韓国社会でこそ、ボーダレスハウスは存在意義があると確信しました。

一方で、実際は韓国人入居者の集客に苦戦している現状。これは何とかしなければと。3ヶ月の出張ではなく、もっと長期的に韓国という社会と、韓国でのビジネスと向き合いたいと思いました。

自分のボスが必死の思いで立ち上げ、今までたくさんの韓国のメンバーが支えつくりあげてきたボーダレスハウス韓国。こんなに価値のある事業を衰退させるわけにはいかん。むしろもっとできることがあるはず。社会に対して価値や可能性のある事業を、大好きな韓国のメンバーたちともっともっと盛り上げたい。
そう思い渡韓を決めました。

(↓言葉の壁があったルームメイトと交換日記でお互いの言語力をUP)

◆今とこれから◆

これを書いている現在、韓国へ来て2ヶ月ちょいが過ぎました。
意気込んで来たものの、今までちゃんと数字を見てこなかったので、入居者さんの対応はできても経営に関してはちんぷんかんぷん。日々が闘いです。

勉強しまくり、トライしまくり、失敗もするかもですが、メンバーみんなと結果を出したいと思います。

やっぱり入居者さんたちが楽しく暮らしているのを見ると嬉しいし、何より、一緒に働くメンバーが大好きです。入居者さんたちに提供する国際交流の価値を最大化すること、それによってしっかりと利益を出すこと、それをメンバー一丸となって成し遂げること。それが私の第一ミッションです。第二ミッション以降は、またおいおい。。

日韓関係が危ぶまれている今こそ、私自身しっかり韓国のことを勉強し、改めて、国境・政治・宗教の壁を超えた国際交流コミュニティを、韓国から発信していけたらと思います。(日々のつぶやきはTwitterで。→@Ahko0406

今までお世話になってきた人も、これからお世話になる人も、今後ともどうぞよろしくお願いします!

(↓今の韓国チーム)