座右の銘

サイコロの目は必ず1以上出る

なぜこの仕事をするか

多様性が楽しいと感じられるような社会であれば、未来の子供たちの生きる社会はきっと素晴らしいものになる。多様性が楽しいと思える空間を作りだせるボーダレスハウスで子供たちの未来を創って行きたいと思っています!

わたしの履歴書

1994年7月6日、ベトナム人の両親のもとで、兵庫県神戸市に予定よりは3ヶ月ほど早く生まれました。この頃から私はちょっとせっかちだったようです。両親の教育方針や家庭の経済事情もあり、幼少期はほとんどベトナムで育ちました。

大の負けず嫌いで、なんでもかんでも突っ込んでいく性格で、その性格が功を制してか、後から覚えたにも関わらず小学校では誰よりも国語の成績がいい外国人でした。日本語が読めることが楽しくて、小学二年生から四年生はとにかく図書館に通い、本の虫になっていました。ハッピーエンドの小説が特に好きで、幸せなお話を読むと自分もその幸せを追体験しているような気がして、本の影響もあり、世界中の子供が銀の匙をくわえて生まれてくるのだと思っていました。

しかし、成長するにつれ、周りと自分との違いを認識するようになると、自分が置かれている状況に違和感を覚えるようになりました。私の両親はインドシナ難民で来日し、私たち家族はみんな無国籍で『定住外国人』という身分です。3年に一度、在留資格を貰いに行かなければいけない。そして、どこの国にも帰属していない。そのことが私にとっては凄く衝撃で、「許可されて生きてる」こと、帰る場所がないことが幼い私には耐え難い事実でした。

ここが私のターニングポイントでした。

周りと何一つ変わらないのにも関わらず、同じ権利が与えられていないこと、世の中にはそのような人がたくさんいることを知り、なんとかしたいと思うようになりました。ただ、それ以上に小学校で受けた扱いで、外国人であることを言うことに抵抗を覚えて、あまり自分から両親の話や、ルーツの話をしなくなりました。

中高で女子校に進み、ここで恩師に出会いました。「たくさんの経験をしてる人は必ず強くなる」といつもそばに寄り添ってくれた恩師のおかげで、海外に対しての思いと向き合いたいと思えるようになりました。

高知大学に進学し、一年生の夏、海外ボランティアをしてみたいという軽い気持ちでベトナムの障害を持つ子どもだけの孤児院のボランティアに行きました。この時に見た光景が今でも脳裏によぎるくらい衝撃だったのを覚えています。

自分は日本で両親が育ててくれたから枯葉剤の影響も受けずに元気に生きている、外国人であることを凄くマイナスに捉えていたけれど、自分も銀の匙をくわえて生まれてきたんだと思いました。

無知であること、無関心だあることは凄く世界を狭め、誰かの幸せの権利を奪っているのかもしれない、そう思って、四国のNPOで他分野に目を向け、行動を起こす若者を増やそうと活動していました。その中で色々な人に出会い、「自分がなぜ行動するのか」を見つめ直すようになりました。

そこにはたくさんのターニングポイントがあったけれど、自分を突き動かしていたのは「当たり前にみんなが持っている権利を与えられないことに対しての怒り」そして、それが自分以外にもたくさん存在していることへの悲しみからでした。

世界中の子供たちが自分たちのルーツに誇りを持ち、アイデンティティを選べるような社会をつくりたい、その為にできることは何だろうと思った時に出会ったのがボーダレスでした。

今までNPOによる支援か、国からのODAなどでしか社会問題は解決されないと思っていた私にとってソーシャルビジネスは衝撃的な出会いでした。

持続的で、どちらかが上に立つのではなく、社会問題の渦中にいる人も、ビジネスを提供する人も共に未来を歩める。こんな素敵な方法があったのかと感動しました。

難民の子供達が自ら選んだ仕事で、自分達の権利を自分たちで勝ち得ることができる会社を作る。それがボーダレスで実現できると確信しています。

その為にまずは日々の学びを大切にし、難民の子どもたちと一緒に未来を創るために愚直に、精進していきます!

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。