座右の銘

鈴と、小鳥と、それから私、 みんなちがって、みんないい。

なぜこの仕事をするか

全ての人が「違い」に誇りを持てて、それを活かせる社会をつくるため。

わたしの履歴書

1988年神奈川県川崎市で、日本人の父と、在日コリアンの母の間に生まれました。幼少期は在日コリアンやフィリピン、ブラジルの子どもがほとんどというコミュニティの保育園で育ちました。お猿さんみたいな顔だったので、「モンチッチ」と呼ばれていたそうです。その時の将来の夢はゴリラになることでした。。。

日本の公立小学校に進学。周りが日本人ばかりの環境に入って初めて自分が他の人と違うということに気づきました。学校の友だちとケンカした際に「朝鮮帰れ!」と言われても、チョーセンってどこや?というレベルのアホでしたが、みんなと同じになりたい、と思うようになり、母親に「日本の名前にしてもいい?」と聞きました。7歳の時です。

その時母親は、祖父がなぜ朝鮮半島から日本に渡ってきたか、そしてどんな経験をしたのか、私にもわかるようにゆっくり説明してくれました。全ては理解できなかったのですが、幸いなことに単細胞だったので「じゃあ世界人になる!」と開き直りました。

地元の公立中学に進学し、いじめに遭い、かなりグレました。。。親が学校に何回も呼ばれて一緒に謝る。今では笑い話ですが、親戚にも「こいつ、ヤバイ」と思われてたそうです。でも4歳年上の姉も結構グレてましたし、クラスメートもみんなグレてたのでごく普通の悪ガキでした。バスケとバスケ部の仲間のおかげでなんとか卒業できました。

バスケが大好きだったので、本場のアメリカに行きたい、日本から出て視野を広げたいと思い、中学1年の時からアメリカに留学させてほしいと親に頼み続け、高校2年の時にその夢が叶いました。

カリフォルニア州の高校は、同質性が求められる日本とは違い、多様性が当たり前の世界でした。クラスを見渡すと多様な国籍、人種、宗教の人が複数の言語で話す。自分が好きなことをとことん追求。そんな個人と個性が尊重される環境で自由を感じ、自分が他の人と違っていてもいいんだ、と思えるようになりました。

カリフォルニアの高校を卒業後は、コミュニティカレッジ(短大)に進学。親に頼りたくなかったので、学費と生活費を稼ぐためにバイトを2つ掛け持ちして、食費を削り、自転車で仕事と学校を行ったり来たりする。アホやろ!とツッコミたくなるような生活を3ヶ月間続けた末、自然気胸になり、手術のため入院。

そして退院後すぐに重度の躁うつ病にかかってしまい今度は精神病棟に入院。まあ、生きてるとよくあることですけどね(え、ない?)。。。一人で生きることの難しさ、人は支え合って生きるしかないと気づきました。同じ時期に親友を交通事故で亡くしました。親友は不器用だけど努力で不可能を可能にしてきたすごい奴。彼が私の人生に与えた影響はここには書ききれません。

日本に帰国。ニート生活をしながら自分の人生を見つめ直し、生きづらさを感じる人たちのために何かしたいと思うようになりました。ダメ元で受験した早稲田大学に運よく拾ってもらって、バイト、授業、NGOでインターン、そして休み期間中は旅に出るという生活。大学では、自分の人生とも密接に関係する人種差別、朝鮮半島分断、紛争、人権問題、移民・難民、ジェンダーなどのテーマを勉強しました。

卒業後は、社会貢献なら国際機関かNGOだろう、という単純な考えから、国際機関・NGOが集中するジュネーブの大学院に進学し国際法を専攻。この頃ゲイの男性に恋をし、自分のセクシュアリティについても考えるようになりました。

大学院卒業後、NGOでのインターンシップを経て、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)や赤十字国際委員会(ICRC)で働きました。レバノン、アルジェリア、イラク、バングラデシュなどで難民支援や刑務所の人権状況改善等の人道支援の仕事に従事。

インターンシップも含めて国際機関・NGOで働いた約5年半は、紆余曲折ありましたが、やりがいのある仕事、一緒に仕事して楽しい同僚、成長の実感、そして心から尊敬できる一生の友人との出会いがあった、かけがいのない時間です。

人道支援の仕事をしていて気づいたのは、持続可能性と支援依存の観点から、寄付ベースの人道支援よりもソーシャルビジネスの方が問題解決に効果的な場合もあるということ。社会起業について学ぶため仕事をしながらケンブリッジ大学のソーシャルイノベーション修士課程に進みました。

その頃イギリスで働いていた妻が日本に転勤。とても充実した仕事を辞めるのはためらいましたが、根っからのフェミニストなので、妻のキャリアを優先し、ICRCを辞めて日本に戻ることを決意。

現段階ではソーシャルビジネスで日本の社会課題解決に貢献するのが一番良いと思い、色々探していたところボーダレスジャパンと出会いました。「社会貢献、やりたいこと、家族、全部同時にできる」という田口社長の言葉、そしてボーダレスジャパンであれば様々な社会問題の解決に貢献できると信じ、応募しました。

私の目標は、全ての人が「違い」に誇りを持てて、それを活かせる社会です。ソーシャルビジネスは目標達成のための一手段ですが、それ以外の方法でも貢献したいと思っています。例えば、心の病気やセクシュアルマイノリティに対する偏見があるので、その偏見をなくすのに少しでも貢献するために私はあえて書きます。

また、ジェンダー平等のロールモデルになるため、妻のキャリアを最優先、家事は基本的に私、育児休業は妻より長く取り育児優先を貫きます。現在も私が家事をしていますが、妻が私の料理に満足してくれるまでまだ時間がかかりそうです。。。社会貢献、やりたいこと、家族、全部大事なので、全部やらしてくれるボーダレスに感謝しながら、目標達成に向かって精一杯頑張りたいと思います。

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。