座右の銘

Cool Head but Warm Heart

なぜこの仕事をするか

家庭環境や社会の構造などに左右されることなく、全ての子どもたちが自分の希望や可能性を信じて、それに挑戦できる社会にするため。

わたしの履歴書

1999年、鹿児島生まれ。幼少期は、ロケットで有名な種子島という離島で、シロツメクサに囲まれて姉と二人の〜んびり育ちました!
小学校に上がる直前に、鹿児島の「本土」へ親の転勤で引っ越し。
鹿児島では島出身だとちょっとした人気者になるのですが、残念ながら人気者にはなれず、もっと島出身をアピールしておけば…と悔やんでいます(笑)

引っ越してすぐ、私の人生に深く影響を与えてくれた「鹿児島県子ども劇場」という団体での活動を開始します。
これは、生の舞台を見ることが基本の活動で、そのほか長期キャンプや舞台作りを子どもだけで行うなど、習い事ではなく「生きる力」を学ばせてくれた活動でした。
そこには、赤ちゃんもおばあちゃんもいるし、不登校の子もダウン症の子もギャルも元ヤンもいて、多世代の「多様な」人たちに囲まれて育ちました。
親以外の大人や地域内外のお兄ちゃん、お姉ちゃんにご飯食べさせられたり、怒られたり、遊んでもらったり、そうやって育てられました。

活動自体は6歳から18歳まで続けてましたが、楽しすぎて私の青春そのものでした!ゼロから作品や活動を仲間と作り上げる喜びは文章では表現できません。この時の仲間たちは今も大切な存在です。
舞台を見ることを基本の活動だと書きましたが、もちろんただ見るだけではなく、作品前後には意見を言い合う場があったり、キャンプも遊びではなく、本気で子どもだけで(高校生・大学生が同伴)マッチで火を起こすことから、メニューやグループの役割を決めるところから始めるものでした。

あえて事例として挙げますが、障害がある子がリーダーになることももちろんあるし、不登校の子が活動だけは皆勤賞で参加してることも全然ありました。
人を属性や年齢で区別するのではなく、「具体的な一人の個人」と捉えるのが当然で、どんな状況でもお互いにどうやって支え合って生きていくか、そういうことを経験を持って学んできました。
難しく書きましたが、みんな友達で仲間だったし、何かを抱えてるからとか性別とかでグループを分けるなんてことありえない世界だったんです。
そして、どんな子でも必ず意見を求められるし、自分のやりたいことに挑戦させてもらえるし、友達の挑戦には協力する、「子どもだから」「子どもなのに」という理由は通用しない世界でした。

また、同時期にバトントワリングというスポーツを始め、週6で朝から晩まで練習に明け暮れていました。土日は9時〜21時で練習…腹筋は小学生から6パックに割れていました(笑)
こちらも18歳まで続けましたが、大会での成績よりも学びや育ちを大切にする先生だったこともあり、ただ練習するのではなく、練習の振り返りをしたり、チームリーダーとしてチームメンバーの関係性や変化を親や先生と話し合ったりしていました。

これらの活動や習い事の中で私は、年下の子たちのやりたいことや挑戦を支えたり、後押ししたりすることに喜びを感じていることに気づきます。
そして漠然と子どもたちのために働きたいと思うようになりました。

また、10歳の時に「災害現場や日本中の困ってる人の声を届けたい」と思い、新聞記者になる志を抱いたり、不登校の友達の家を毎日訪ねて声をかけ続けたりと、元来正義感や他者貢献への欲が強く、ただ「子どもたちのため」というよりは「困ってる子たちのため」に何かをしたいと思っていました。

中学に上がり、自分の殻を破ってどんどん人生が楽しくなり、たまにハメを外して先生に怒られる中、偶然学校でJICAの存在を知ります。
知った瞬間に「私はこれをする」と決め、漠然と国際協力で子どもたちのためになにかしようと思うようになりました。

その志を持ち続けた高校時代、JICAの鹿児島事務所に行ってみるなど色々調べる中で、ネットでストリートチルドレンの存在を知ります。
当時は「貧困問題」というものを分かっておらず、とにかくこの子たちのために何かしたいという思いだけを抱きました。 そしてさらに思考を深め、私が経験してきた活動や習い事から「アートとチームスポーツを使った保護シェルターを作りたい」と決め、寝ても覚めても勉強しまくって大学に合格しました。 (大学時代のことはこちらに詳しく書いてるので、ご関心ある方はぜひご覧ください!)

入学直後、インドの子どもたちの支援をしている学生団体に入り活動を開始しました。
やっと目指してたところに近づき、NPOの大人に会ったり、アジアに行ったりと楽しくて仕方ない毎日でした!

しかし半年ほど経って、私がやりたいことは「貧困問題」と絡んでいると理解し出すと同時に、保護シェルターを作っても子どもたちの問題を完全には解決できないことを悟ります。
そしてNGOに入ろうと思っていたけど、なんだか「支援」と「被支援」の関係やボランティアの仕事に違和感を覚えるようになります。
そんなモヤモヤしていた時、ラッキーなことに先輩がビジレザでバイトしていたことから、ボスの講演を開いてくれました! そこでソーシャルビジネスという方法に感動し、「これしかない!!!私はこれをする!!」と、この道に進むことを決めたのが18歳の時でした。

ただ、好奇心旺盛で心を持っていかれたものにはすぐ行動してしまう性格で、貧困解決に限らず色々手を出してしまって…西日本豪雨災害が起こった時はいても立ってもいられず、先輩と災害支援の団体の立ち上げをしたり、環境問題がやばい!となってからは毎日のゴミ拾いや勝手にハチドリ電力の広報活動をしたりしていました。

色々したものの、やっぱり貧困問題を解決にもっと取り組みたいと思い、勇気を出してビジレザでのバイトを開始します。

その後、ストリートチルドレンにまつわる問題も、その他のあらゆる問題の根源には貧困問題が絡んでいることが多いと理解し(もちろん貧困だけじゃないことは分かっています)、そこの解決を最初にしたいと改めて思いました。
そしてビジレザが本気で貧困解決に取り組んでいることと、実際に人々の生活が変わっていること、ビジレザで働く先輩たちとなら本気で変えていけると確信し、入社面接を受けました!

いい感じにまとめましたが、元々こんなストーリーを描いていた訳ではなく、とにかく目の前のことをしていったらここに行き着いた!というだけです(笑)
そして確かに自分で意思決定してここまできましたが、これまで私に関わってくれた多くの人たちや環境によって、今の私はできています。周りへの感謝はつきません!

これからもそのことに感謝しながら、しっかり恩送りできるよう精進していきます!よろしくお願いします!

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。