座右の銘
人生で無駄な事は何一つ無い
なぜこの仕事をするか
自分のためだけでなく、誰かのためにも頑張れる人でありたいから。
わたしの履歴書
1992年8月26日大阪府箕面市で生まれました。
幼稚園の頃、冬の寒い時期でも薄着だったので、先生から心配されていたそうです。そんな心配をよそに、私はとても元気で3年間で幼稚園を休んだのは1度だけ。
小学生の頃は外で遊ぶのが大好きで、夏になると毎年真っ黒に日焼けしていました。学生時代も相変わらず元気で、小学校6年生から高校卒業まで休んだのは、確か中学生の頃にインフルエンザが大流行し学年閉鎖になった1度だけです。
今でも身体が丈夫な事が、私の取り柄だと思っています(笑)
今の私の原点となったのが、高校入学してすぐに始めたアルバイトでした。
初めは働くことの厳しさや難しさを痛感していましたが、それ以上に遣り甲斐や楽しさが上回るまでに長く時間は掛かりませんでした。
年に一度お店が一番忙しくなる日がありました。一年目から私は重要なポジションを任せて頂きました。
そのポジションはお店の顔であり、ピーク時間は店舗に押し寄せ入りきらない数のお客様へのお声掛け、的確なご案内、苛々されている方への気配りが必須でした。
当時の高校一年生、店舗で最年少だった私に任せるのは、初の挑戦だったそうです。
その後、二年目三年目も同じポジションを任せていただけたことは、私にとって一つ大きな自信となりました。
また、年に一度接客の大会があり、高校三年生の時と翌年に出場し、優勝や準優勝をいただくことができました。
二年目は西日本の強者が集まる、更に大きな大会への出場の機会もいただき、本当に周りの方々に感謝しています。
卒業後は無事にその職場への就職が決まり 、接客トレーナーとして新店舗に配属となりました。
教育、品質管理、労務管理…etc覚えることはたくさんあり、壁にぶつかることも、自分の無力さを思い知ることも何度もありました。
ですが仕事の基礎や自分の意識の軸となる事、他にも大切な事をたくさん学び得た、とても良い経験になったと感じています。
その後の職場にて。
インバウンドのお客様で、食事を終えたら空港に行き自国に帰る方でした。英語が喋れない私は、簡単な単語とジェスチャーでやり取りする事しか出来ませんでした。その方が食事をしながら何か書いているなーと思いつつ、忙しかったので特に気に留めていなかったのですが、帰り際に渡されたペーパーナフキンに描いてくれた一枚。私が理解できる簡単な単語で「日本に来ていろいろなところに行ってきた。一番素敵な笑顔でおもてなしをしてくれた、ありがとう!」と。
今でも大切に保管しています。
飲食業界にトータルで十年、長く携わってきました。
たくさんの仲間やお客様との出会い、各場所で経験し学んだ全てに意味があり、必ずこれからの自分の糧になることだと思っています。
これからはボーダレス・BLFで出逢った素敵なメンバーと共に成長し続けられるよう、精進していきたいです。