座右の銘

自然・自由・美徳

なぜこの仕事をするか

自分の知識を活かせつつ、社会、いや世界貢献出来る職場という環境に引き寄せられたので、この仕事を選びました。

わたしの履歴書

1994年11月22 日に生まれ、兄と弟の男兄弟のなか育ちました。小さい頃は人見知りの内弁慶で根はとても頑固だったようです。

父の仕事の都合で、小学生からは伊豆諸島最南端の島に引っ越しました。その青ヶ島は人口160人、同級生は村長の息子とそのいとこという小さなコミュニティ。転校当初はシャイで綺麗なワンピースを着た「都会からの転校生」というイメージを裏切らない女の子だったようですが、周りは元気な男の子ばかりで次第に活動的になっていきました。サッカーと柔道に熱中しだしてからは、胸まであった髪はどんどん短くなり中学二年生では0.8mmの坊主に。(その日は衝撃が走ったようです) 負けず嫌いで成長期の男子に負けたくないばかりに毎日8kgのダンベルで筋トレをして体を鍛え、どこからどう見ても男の子でした。こんなように、島の皆さんや先生方のご理解と手厚いサポートのもとのびのびと育ちました。

小さな島の世界にいた反動で海外の広い世界に興味があり、まずは大好きな英語をもっと勉強したいと高校がない青ヶ島を離れ、都立国際高校に入学しました。帰国子女や在京外国人の多い比較的自由な学校でしたが、女子トイレの鍵もかけない生活(中学校の女子は私一人でした)をしていた私にとっては、集団行動の難しさと自分の奔放さに初めて気付き、カルチャーショックでした。島にいる両親も問題を抱え、あまつさえ学校の人も、隣の住人もよく知らない地域で新生活を始め、心細かったです。自分の無力感や孤独感を感じることはここまで人を弱らせるのだと実感するとともに、応援してくれる人がいることや島でのコミュニティに改めて感謝をしました。

 

環境問題を学ぼうと思って入学した筑波大学では、フィールドワークや偏光顕微鏡での鉱物観察が面白くなり地質学を専攻しました。そこから青ヶ島の火山が2014年に噴火した御嶽山と同じ水蒸気爆発の可能性があることを知り、岩石学分野で青ヶ島火山をフィールドに卒業研究を行いました。

大学卒業後は一年、青ヶ島でくらしていました。島で久しぶりに過ごして、改めて地域のつながりを感じました。また畑や釣り、山菜採りなど食糧を自分たちで手に入れて食べるということは、ものすごくパワーをもらえることだなと「食」についても考えていました。そんな時、もともと素敵な会社だと思っていたボーダレスがのいえ食堂を運営してることを知りました。

実際に働いてみて、のいえ食堂のある三ツ沢下町の子供達からシニアの方まで、皆さんとの素敵な出会いがありとても嬉しいです。買い出しに行く道すがら、常連の近所の方とばったり会って立ち話しするこの地域感が大好きです!温かいごはんと居場所にホッと笑顔になれるコミュニティ食堂を目指して、自分自身と調理をスキルアップして頑張ります!

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。