座右の銘

人間万事塞翁が馬

なぜこの仕事をするか

世の中には恵まれない環境で過ごしている犬猫たちがたくさんいることを知り、それぞれが1番幸せに過ごせる家族を見つける社会を作りたいと思いました

わたしの履歴書

1997年に和歌山県で生まれ、幼少期はインドネシアで過ごし、小学校入学前に帰国して大阪で育ちました。

私は私よりお姉さんの猫の「みー」と一緒に育ちました。私は社交的なタイプでは無いし、兄弟もいないですが「みー」がいてくれるだけで幸せでした。 「みー」の存在が私にとって、とても大きかったので、道で野良猫を見ると、「もしこの子たちも温かい家で過ごせていたら、どんなに幸せだろうか」「この子たちが人間と暮らしたら、人間も幸せになるのに...」「もしお母さんがみーを拾っていなかったら、みーも外で暮らしていたのか....」といろんな感情が湧きました。

将来は絶対に犬猫が幸せになれる社会を作れる人になりたいと幼い頃から思っていました。具体的にいつこの気持ちが芽生えたのかは覚えていませんが、小学生の卒業文集には「殺処分を無くしたい」と書いていました。

小中学生時代は何かしたい気持ちはあるものの、何もできないもどかしい学生生活を送りました。それでも「私にできることを!」と思い、近所の野良猫の里親さん募集を手伝ったり、動物愛護法改正のための署名活動のためのチラシを動物病院に配りに行ったりと自分にできる範囲で活動しました。

高校生時代は自分にできる範囲ですが、猫を保護して里親さんを募集していました。小中学時代は近所にある学校と家の往復の生活でしたが、高校は地元の人は誰も行かないような家からかなり離れたダンス部の強豪校に入学し、夜練ができるように時間の融通が効く自転車を毎日往復20km近く漕いでいました。外に出る時間が長くなると、猫との出会いも増えました。

通学途中に痩せ細った子猫が突然現れたり、子猫が目の前で車に轢かれてしまったりして(骨折しただけで済みました)、家に連れて帰って保護しました。私が保護した子たちは子猫だったので、里親募集をすると想像以上に応募をいただきました。しかし、日本で殺処分されている猫のうちのほとんどが子猫だと知り、"もし存在が知られていたら、本当は助かった命は必ずある”と思うようになりました。

大学時代は、保護犬猫の認知拡大のために何か行動をしたいと思って自分なりに行動をしてみたものの難しいことも多く、まずはビジネスの基礎を作ろうと思い、日本国内に加えてベトナム、カンボジア、ミャンマー、アメリカで長期インターンシップをしました。結果的に大学時代はテスト期間以外ほとんど通わない不真面目な大学生でした(笑)

今までは"思う"だけで犬猫のために何もできていませんでしたが、ボーダレス・ジャパンに入社したことでやっとスタートをきれました。これから最速で自分の夢を叶えるためにRISEプログラムで頑張ります!

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。