座右の銘
将来、誇れる自分になる。
なぜこの仕事をするか
わたしの履歴書
1990年11月7日大阪生まれ。一卵性双生児の妹、2人の弟たちの姉でもあります。
幼い時から、双子の姉、郁香と何をするのも、どこへ行くのもいつも一緒でした。常に身近に姉=ライバルがいる環境で、1点でも良い点数とりたい、0.1秒でも早く50m走を走りたい、1つでも多く物事を知っておきたいなど些細なことでも競い合っていたのを覚えています。そのおかげで、人一倍好奇心旺盛で負けず嫌いです。また何か嬉しいこと悲しいこと悩みごとがあれば、何でも話せる親友のような存在なので、双子として産んでくれた両親に感謝しています。
高校時代は、ダンス部に所属。大阪で行われた総体の開会式や中国上海で行われた万博の開会式、週末は1日イベントが2件入るのは当たり前、多くの地域のイベントで踊らせていただきました。辛いことがあっても諦めないこと、一度決めたら最後までやり抜くことをダンスを通して学びました。
外国語大学に進学。在学中、カナダのトロントへ留学に。留学先で「世界がもし100人の村だったら」という本に出合い、世界では、様々な境遇で生活をしている人たちが沢山いることに衝撃を受けました。世界の皆が、最低限生活できる社会の仕組みを創ると決意し、そのためには、国際問題を学ぶ必要があると感じ、アメリカの南フロリダ大学でInternational Studiesを勉強。また発展途上国の人々の生活を自分の目で確かめるため、南米や北米・アジアといった発展途上国を中心に20か国ほど旅をしました。物乞いをして生活資金を調達する幼い子どもたち・1日2回片道3時間かけて水を汲みに行く子どもたち・親に仕事がなく育てられないため孤児院に預けられた子どもたちなど、そこで見えてきたのは、仕事が無い親のしわ寄せが全て罪のない子どもたちに来ている現状でした。
この目をそむけたくなるような現実に実力が伴っていない私は、新卒でその道に挑戦する覚悟がなく、一度海外へ目を向けました。卒業後はオーストラリアのホテルへ就職。しかしその後発展途上国への海外旅行を通して「生涯かけてやりたいことはなにか?」と考えた時に今のオーストラリアでの仕事ではないと思い退職。姉が働いているボーダレス・ジャパンを紹介してもらい、社会起業家集団のこの会社なら私の大きな夢が叶うと思い、入社させていただきました。
ボーダレス・ジャパンで、社会起業家の基礎を学び、1日でも早く、貧困が著しい地域で、人々の雇用を生み出し、最終的に私たちのサポートなしで、生活に困らない社会のしくみを創りたいです。