座右の銘
なにこれ素敵
なぜこの仕事をするか
世の中には様々なタイプのデザイナーがいますが、私は「考えるデザイナー」になりたいです。デザインの力で何をどう繋げられるのかを考え、社会により多くの影響を与えたいと思い、この仕事をしています。
わたしの履歴書
1991年3月14日大分県日田市に生まれました。
物心ついたときから描くこと、作ることが大好きで、小学生のときにお風呂の中でなんとなく「たぶん自分は一生なにかを作り続けるんやろうな」と思ったことを覚えています。
ただ、我が家の中での常識から、高校は地元の進学校に進むというぼんやりと敷かれたレールが見えていました。だから「描くことや作ることは仕事にはできない」「自分ごときが好きなことで食っていけるわけがない」と割り切って中学と高校では勉強を頑張りました。
しかし、高校2年生の冬にいざ進路を決めるというときに、なにかを作ること以外に心からやりたいことがないことに気づきました。それから、学校や両親との折り合いのついた国公立のデザイン学部を目指し、岡山県立大学デザイン学部デザイン工学科に入学。
モノづくりへの興味から、プロダクトデザインを専攻。しょうもないことが大好きな、平和で愉快で、だけどとても真面目な仲間たちと一緒に、真剣にデザインと向き合いました。
大学時代にはデザインという言葉の意味・定義、ヒトとモノとの関係性、アートとデザインの違いなど、様々なことを考えさせられました。そして自分の中で「デザインとは、何かと何かを繋ぐこと」というひとつの結論に至りました。
だったらデザイナーがモノづくりだけでなく、コトづくりから関わったっていいじゃないか、と思い大学卒業後の2013年にイベント制作などを主に行う東京の会社に就職。ラジオの公録イベントや日本橋の街づくりイベントの企画制作、アートディレクション、現場の運営などを行い、番組とリスナーを、人と街を繋ぐとても楽しい経験をすることができました。
その後東京で出会った今の夫と婚約し、今後の2人の理想的な生活を話し合った結果、2017年2月に福岡県糸島市に移住。広いマンションに住んで、憧れの車を手に入れて、休日は夫婦で海に釣りに出かけるという、とても快適な生活を手に入れました。
もちろん仕事も転職してグラフィックデザインの事務所で働き、デザインの技術的にはとても成長はできたと思います。ただ、毎日ひたすらMacの前で作業をこなすばかりで、自分の理想とするデザイナー像からはどんどん遠ざかっているような気がしていました。
もっと考えることが求められる、末端の作業だけでなく制作全体に関われるような仕事がしたいと思っていたところにボーダレスの求人を見つけ、今に至ります。
自分が理想としているデザイナー像に近づけるように、本当の意味でのプロフェッショナルになれるように、努力していきたいと思っています。