座右の銘

虎は死して皮を留め人は死して名を残す

なぜこの仕事をするか

1000年後の人類のために、安心して生活できる環境をビジネスを通じて作りたい。そして、もっと多くの人がワクワクしてリユースを楽しめるモデルを作り上げ、「大量生産大量消費」の時代にピリオドを打ちたい。

わたしの履歴書

1993年東京生まれ。
私が貧困問題に興味を持ったのは中学2年生のころに遡ります。外の世界に興味を持ち、駅の売店に置かれたNewsweekを読み始めたのがきっかけでした。好奇心旺盛だった僕はそれまで触れたことのない世界の裏側を知り、自分の置かれた環境を考え「人は平等に生まれるのになぜこうも変わってしまうのだろう」と疑問を持ち始めました。
あとになってから実際には生まれることすらも平等ではないことがあるのを知るのですが、当時世界の貧困問題を政治によって変えようと思った私は政治家を志すようになります。

中学高校は6年間弓道部で文字通りの文武両道を目指していました。中学時代は弓道部の部長を務め、組織をまとめていくことの楽しさを知りました。その時からリーダー役に進んでなることも増えていったように思います。高校時代になると将来の夢を考えるようになりましたが、社会科の担当教員であった恩師のおかげもあり社会のことを客観的に捉える視点の重要性を知り、日本と世界の違いを深く考えるようになりました。ちょうどそのタイミングで、政治家を厳しく追求し社会の真実を市民に伝えるジャーナリストを目指すようになり、進学先の上智大学ではマスコミュニケーションを専門に学ぶようになります。

そして入学翌年の2013年、大きな転機が訪れることになります。それは、ボランティア活動がきっかけで東南アジアの楽園・フィリピンに行ったことです。その後、マニラのホストファミリー達と計1年近く生活をともにし文化も言語も全く異なる中で多くのことに感激し学び吸収しましたが、その中でも最も強烈だったのはある友人の死でした。その友人は身ごもった赤ちゃんが生まれた直後に病気を抱え、経済的に不安定な状況の中自らの生命を断つ決断をしたのでした。フィリピンはカトリックの文化圏にあり、自殺をすると埋葬すらもしてもらえないこともあるなど社会的な制裁も伴うことがあります。しかしながら、死因としては滅多に挙がらない自殺を親しかった友人が冒したことに私は大変なショックを受けました。

「もし自分がもっとその人の状況を理解していたら、そしてもしその人に少しでも経済的余裕があったらその命は自らの手で断たれずにも済んだかもしれない」と考え始め、現場レベルから根本的に開発をすることが急務であることを覚えました。そこでジャーナリストの夢から一転、ドラスティックにビジネスの視点から社会システムを変えるためにソーシャルビジネスへの道を決心するに至りました。
10年ほど前までは世界的な潮流もあり、途上国開発は多くが政府機関やNGOが介在することによって行われてきました。しかしながら、そこには様々なパワーバランスの入る余地があったり活動がひとつの方針に基づいて行われるほどの条件が整備されていないことが多々あり、その力に限界があることを海外での経験や様々な団体・NGOでのインターン、国際交流活動を通じて痛感してきました。そこでビジネスを通じて開発を行うことで自主自立性の高い開発ができるのではないかと考えたのです。
そこでソーシャルビジネスを行うことで世界を変えようと決心、ボーダレスへの入社を決意し今に至ります。ソーシャルビジネスで世界の貧困をなくすために、新規事業立ち上げに向けて日々精進いたします。

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。