座右の銘

The future depends on what we do in the present.(マハトマ・ガンジー)

なぜこの仕事をするか

人生かけて取り組みたいと思える社会問題を解決すると覚悟を決めたから。

わたしの履歴書

1992年に岐阜県で生まれる。

町の人口3,000人以下、1学年1クラスと狭い世界に、行き心地の悪さを感じていて、いつも早く大人になりたいと思っていました。
勉強は大嫌いでしたが、小学生の頃にクラスメイトにばかにされたことをきっかけに猛勉強して、それ以降優等生な子供でした。

他人に馬鹿にされない自分になりたいと、成長志向の強い幼少期で、自分の成長のために英語のスピーチコンテストや資格勉強等に励んでいました。
中学生の頃に、父親が海外を飛び回って働く姿を見て、いつか世界を舞台に活躍できるビジネスパーソンになると決めました。

大学では英語言語学を専攻、アメリカ留学を目指して勉強に励んでいました。
ところがある大学の先輩との出会いをきっかけに、途上国に一人でバックパッカーで旅をするようになりました。
あらゆる価値観の人たちと出会えたバックパッカーは、私の人生の価値観の軸を大きく見直すきっかけになり、旅の面白さを伝えたいと思って学生団体を立ち上げました。

数多く訪れた国の中でも、エネルギッシュで人懐っこいインドに惚れ込み、学生時代に10回以上インドに足を運びました。
インドを訪れる中で、現地の村のNGOを訪れる機会がありました。

そこで出会った貧困層の子供たちは、「将来貧しい人を助けたい」「医者になりたい」皆夢を持って、電気も机もない暗い部屋で、一生懸命勉強に取り組んでいました。

しかし、訪れたNGOの運営は寄付金に頼りきり、東日本大震災直後で寄付金が減り、資金面で運営が危機的であると知りました。
子供たちは孤児だったり、親が低収入のため、NGOの支援なしでは進学もできない状況でした。自分は自分の意志でやりたい事を決めて、実行できてきたのは、経済的に恵まれていたから。貧困家庭に生まれたために将来やりたいことが叶えられないという現実に、なんて理不尽なんだろうと憤りを感じました。

これまで自分の行動の原動力は、いつでも「自己成長のため」でしたが、インドでの経験をきっかけに、行動の目的は「インドの貧困問題を解決するため」に変わっていきました。
また、その経験から、「理不尽な環境下に生まれたとしても、貧困から抜け出して、夢を叶えられる社会」を創りたいという志ができました。

それ以降、貧困を知るために、貧困問題に関わる本を読んだり、国際協力を行っている方に会いに行ったり、大学を1年休学して、インドのNGOでボランティア、フィリピンのソーシャルビジネスを行う会社でインターン、さらにビジネスを知るためにインド企業でインターンに参画しました。
なかでもインド企業でのインターンでは、仕組みを変えるべくインド人社長に色々と提言し、何度も口論をし奮闘してきましたが、大きな成果を出すことができませんでした。
当時の自分の実力では、インドの貧困問題を解決することができないと感じ、日本で「修行のため」就職することに決めました。

就活の面接で、「数年後にインドで貧困問題を解決するための事業を立ち上げたいと思っています」と正直に語っても、「いいね、やろうよ!」と言ってくれたパーソルキャリア株式会社に新卒で入社。
人材紹介事業部で2年半、法人向けに採用コンサルティングに従事しました。
志だけは高く、生意気な新人でしたが、早々に重要顧客を任せてもらえたり、所属部署や事業部でMVPに表彰も頂き、上司に引き上げてもらったお陰で充実した社会人生活でした。
また、社内で手を挙げて、引きこもり・ニート若手就労支援の行政受託事業でプロボノをさせてもらったり、休日は社会問題に関心のある人が集まるリーダー育成講座にも通いました。

夏季休暇に、インドネシアでソーシャルビジネスを行う企業でインターンに参画。
そこの創業者の方は70代で、何十年も社会問題解決に取り組み、インドネシア最大の組織を率いる方です。彼に「はじめはたった一人で事業を始めたんだよ。本気で問題解決したいなら、まず動くこと」とアドバイスをもらいました。

そこで初めてハッとしました。自分が日本で修行をしていても、インドの貧困問題は一ミリも解決に向かっていないじゃないかと。その一週間後には会社に辞表を出し、ボーダレスジャパンに入社し、事業プランを創りました。
2019年7月よりインドに渡航し、スラムの女性たちの貧困問題解決のための、家事代行サービスを展開しています。貧困の連鎖を断ち切る社会を目指し、奮闘中です!

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。