座右の銘
世に生を得るは、事を成すにあり。
なぜこの仕事をするか
私が牛を飼い始めた理由は、離島で暮らすための収入を得るためでした。私の両親は農家でもなく農業の勉強はしたことがないし、畜産に興味があったわけでもありません。ただ、島で生活していくための手段として、牛を飼うことになりました。そうして牛を飼っていくうちに、畜産という産業は自然の環境や動物の健康に大きな負担をかけていることを知りました。そして、家畜という動物は最終的に産業廃棄物か食肉になるしかないという現実を目の当たりにしました。だからこそ私は、牛の幸せを一番に考える牧場をつくりたいと思うようになりました。
わたしの履歴書
2007年、28歳のときに鹿児島の小離島、口永良部島へ移住したことがきっかけで、農家に1頭の母牛をもらったことから私の牛飼いの人生が始まりました。そうして島に住みながら牛を飼うことになったのですが、いくら島暮らしは金がかからないとはいっても、1頭の牛だけではとても生活していくことはできません。
そこで私は、一般社団法人を立ち上げて事業を行いながら、片手間で牛を飼っていました。最初は、農家からは「牛飼いをなめてるのか!」と怒られたり、行政からも「牛に専念してもらわないと困ります。」とか言われました。それでも自分なりには、他の島の農家へ研修に行ったり、農業大学校に通ったり、人工授精師の資格をとったりしました。「島に仕事をつくる。」ことを目標にして会社を立ち上げたので、まずは自分の仕事をつくるため、自然放牧・自然交配・自然飼料にこだわりながら、細々と牛飼いを続けていました。でも色々あって、約7年住んだ口永良部島を離れることになりました。
2014年、35歳のときに口永良部島で出会った妻と結婚してから、ようやく牛飼いだけでも何とかそれなりに生活していけほどに収入を得られるようになってきました。それからもずっと、「本当にやりたい牛飼いとは何か?」を自問自答していました。黒毛和牛の繁殖経営は、母牛に産ませた子牛を1年ほど育て市場に販売する仕事です。
その子牛は、肥育農家が購入して2年ほど育てられ、そして牛肉になります。いくら自然放牧にこだわって子牛を育てても、市場で販売した後は生涯牛舎で育てられます。また、子牛を産めなくなった母牛も、最終的には牛舎で肥育されて安いミンチ肉になります。牛の幸せとは何か?子牛を産めなくなった母牛「こゆき」を飼い続ける中で、ずっと考え続けていたことです。市場で販売すれば、少しでも現金収入にはなる。もし牧場で死なせてあげられたとしても、BSE検査を受けて最終的には産業廃棄物として処分しなければならない。
2019年6月末に「こゆき」は自分たちでと畜場に連れて行って、牛肉となりました。初めて自分で育てた牛を自分で食べました。「こゆき」にとっての幸せとは何かを考えた結果が「有難く食べる。」ことでした。多くの離島や地方の一部では、主な産業の担い手である黒毛和牛の繁殖農家がいなくなって、牛舎が朽ち果てて牧場も荒れ放題といったところも少なくありません。
私は、島での生活と牛飼いの仕事を通じて、たくさんの人たちといろんな牛たちから多くのことを学びました。それでも牛飼いとしてはもちろん、経営者や起業家としては、まだまだやるべきことがたくさんあります。これからは宝牧舎という看板を背負って、牛の幸せが人の幸せになる社会を実現するため、微力ながらも人生をかけて挑戦していきたいと考えています。