座右の銘

Singin' in the rain

なぜこの仕事をするか

大人が自由を感じながら生きられる社会にするため

わたしの履歴書

僕はスマイルバトンで働くことを通して、「大人が自由を感じられる社会」を実現したいと考えています。小学校教員・学童保育支援員というキャリアを経験して、スマイルバトンへの入社に至った背景にあるものは何か?自分のこれまでの人生を振り返りながら、僕の「願い」の根源を一緒に見に行ってもらえたら嬉しいです。

⦅どんな学生時代だったか?⦆
1989年、愛知県北西部で、3人兄弟の長男として生まれ育ちました。
学校からの帰り道に「はた織り」の音が鳴り響いていた地元愛知県一宮市が、今でも大好きです。
吹奏楽にのめり込む学生生活を過ごし、教育大学に進学。教員への就職を考え始めた当時は「モンスターペアレント」の話題が世間を騒がせている真っ只中でした。「そんな中で僕なんかに教員が務まるのだろうか?」と不安な気持ちが心の中で渦巻くばかり。「中学校実習に行ったら決めよう」「小学校実習に行ったら決めよう」と決めかねているうちに、「教育に対して自信をもって語れるように、もっと学ぼう」と進学を決意し、大学院で2年「教師の力量形成と人生」をテーマに、研究に取り組んでいました。

⦅なぜ子どもと向き合う仕事を選んだのか?⦆
大学院在学中に「絶対に教員をやってみたい」と、思わず感じてしまう出来事がありました。それは【富山市立堀川小学校】の授業との出会いです。この学校は、「探究的な学び」について昔から研究している学校です。この学校で出会ったのは、一言で言えば「子どもの生き方が変わる授業」でした。「人の生き方を授業で揺さぶる先生という仕事は、なんて面白いんだ!」とひどく感動し、教員になることを決めました。

決心をしてスタートした教員生活でしたが、「小心者でネガティブで、なんとか明るく振る舞うことで精一杯だった僕に、教員なんて務まるんだろうか?」と不安な気持ちは相変わらずありました。顔に大量の汗をかきながら毎日授業をしていたことは、とてもいい思い出です。そんな中でも教員を続けられたのは、「たつあき先生!」と毎日名前を呼んでくれる子どもたちの存在と、「こんな授業がしたい!」という自分の目指す教師像があったからだと思います。

6年の教員生活を終えた後は、「海外の先生を支える仕事がしたい」と志すも、情勢の影響で断念。学童保育の仕事に出会い、新規施設の立ち上げやスタッフの現場研修・マネジメントなど、責任者の立場を経験しました。

学童保育の支援員をしているときに、スマイルバトンが運営する事業「先生の学校」と出会いました。あるとき代表の三原菜央さんが「先生の学校」のプロボノメンバーを募集していたのを見かけ、すぐさま募集フォームをクリックし、夢中になって志望動機を書いたことを覚えています。プロボノとして「先生の学校」に関わり始めておよそ2年を経て、この度スマイルバトンの仲間になることになりました。

⦅なぜ大人が学ぶ場に関わることを選んだのか?⦆
僕がこれまで関わってきたのは、主に小学生です。子どもの発想は自由で、面白く、大人の想像を簡単に越えてくることが何度もありました。その一方で、学校の中は「しなければならない」仕事でいっぱいいっぱいな部分がありました。
そんな中で「先生のいろんな仕事を、もっとユニークに・自由な発想で取り組むことはできないか?」「大人だって、子どもと同じくらい自由を感じながら生きてもいいんじゃないか?」と感じることが多くなっていきました。
それを実現するためには、大人自身が自分の価値や可能性にオープンになったり、自分自身がこれまで得てきた学びや価値観を見つめ直したりする必要がある。そんな「自分を見つめ、磨こうとする」一歩を踏み出す人の、背中を押せる人でありたいと考えるようになったのが、僕がスマイルバトンで働くことを決めた背景です。

「岩田 龍明」と、「龍」に「岩」とゴツめな名前に反して、とても穏やかな性格です。 ぜひ気軽に、「いわたつ」と呼んでください!よろしくお願いします。

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。