座右の銘

日々是好日

メッセージ

日々の生活の中で「やりたいことができない」「諦めざるを得ない」ということを減らしたい。「できない」が「できる」になる社会を作るための力になりたいと考えています。企業活動が社会貢献性の高いものであることによって、世界がよりチャンスに溢れた状態になるように、また若い人たちが「仕事は誰かを幸せにするために取り組むものである」と思い描くことができるように、企業活動によってそれを体現していきます。

わたしの履歴書

1990年神奈川県生まれ。日付が変わるぎりぎりに生まれたので、両親は誕生日が今日になるか明日になるかとわくわくしたそう。

振り返ると社会貢献活動に参加したのは小学生の頃。社会科の授業で20年前の地域の地図を先生から渡され、自由に街探検をする時間が与えられました。20年前に「大鳥園」として運営されていたデイケアセンターが現在はリノベーションされ、きれいな施設に変わっていました。突撃で訪れた小学生の自分たちを快く受け入れてくださったセンターの方々との時間が終わり、出口で靴を履こうとした際に目に入ったのが「車椅子が足りません」というビラでした。

小学生ではお金を稼ぐ術がない一方で、お世話になった方々やおじいさん、おばあさんの力になれないものかというもどかしさ。それを解消するきっかけとなったのが、近所にあったアルミ缶を手リサイクルすることで10円が戻ってくる機械の存在でした。家で出たアルミの空き缶をその機械に入れると10円が出てくるのですが、これでは一向に車椅子の資金には到達しません。そこでアルミ缶を徹底的に集めるため、ごみ収集の日は早朝に集積所に立ち寄ってゴミの中からアルミ缶を大量に集め、小学校へ持参しました。洗って、潰して、たくさんのアルミ缶を集め始めた時には、クラスの仲間たちも協力してくれるようになり、最後はごみ収集の日に小学生がアルミ缶の入ったゴミ袋を担いで登校してくるという特異な状況になっていったのです。そして200キロ集まったアルミ缶をリサイクルすることによってついに貯まったお金で購入予定の車椅子が小学校へ届いた当日。ついにデイケアセンターへ車椅子を寄贈できると思っていた私たちに、業者の担当者の方が「こんなきれいなお金は受け取れない」と一言私たちに告げ、車椅子を無料で差し出してくれたのです。このような原体験から、私は社会に貢献すること、また人のことを想って行動することの素晴らしさを学ぶことができました。更に小学生では車椅子が購入できないという「可能性0」の状態を、多くの方々の協力を受けることによって「1以上」の状態にすることができ、それを自分たちの努力という掛け算によって何倍にも大きく、強くしていくことができるのだと実感したのです。

困っている人を当然のように助けられる人になりたいという考えはその後、日本に住んでいる中では考えられないような「生まれながらにして可能性が限りなく0に近い人々」に向くようになり、大学2年時に学生ながらNGOを自ら設立するチャレンジに打って出ます。世界の諸問題の中で、現在の自分の能力・資金力で取り組むことができる場所として、日本から近く、英語でプロジェクトが遂行できるフィリピンを選択した結果、セブ島での支援活動を実施することに決定しました。大学卒業後は一度日本で就職したものの、セブ島の支援地を長い目でしっかりと見ていきたいという気持ちから移住を決意。その後は現地の旅行会社に転職し現地に約2年在住、更に会社のマニラ支店設立の際に異動となりマニラ支店長としてこちらも約2年、計4年間フィリピンでの生活を経験しました。

ボーダレスではトルコにてプロジェクトの立ち上げに参画しています。激動の中東情勢に影響を受ける一般の方々、特にシリアからトルコに移り住んだ難民の方々に対して、「人生の可能性を1以上にするための仕事」に取り組んでいきます。

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。