座右の銘

物を知るには、これを愛せねばならず、 物を愛すには、これを知らねばならない

メッセージ

「人って実際に接してみないとお互いわからない」
その想いのもと、一人ひとりがお互いに関心と尊敬を持ちながら繋がっていけるコミュニティを創りたい。
その夢に向け、日々精進していきます!

わたしの履歴書

1990年10月大阪府箕面市、お猿さんや鹿も出るようなのどかな街で生まれました。

自分の性格を一言で表すと「臆病」。
保育園卒園後、一人だけ別の小学校に入学した際、学校に行くのが怖く、毎朝母か8歳上の兄に送ってもらいながら別れ際には号泣の日々を繰り返していました。
なんとも手を焼かせる子供だったと思います。

小学校から高校まではサッカー漬け。
高校時、「打倒私立」を掲げ、公立高校サッカー部に集まった仲間は皆個性が強烈。
練習・試合中、ボコボコに言われ、毎日泣きそうになりながらサッカーをしていました。
それでも、チームで一つの目標に向かって、共に汗を流し、泣き、そして喜び合った時間は今でも決して忘れません。

大学は生まれ育った大阪を離れ東京へ。
「部活のチームメイトよりもいい大学に入る」「一人暮らしがしたい」という子供のような意地とありきたりな願望で東京の大学を選択。
孤独ながらもあっという間に過ぎた浪人生活を経て立教大学へ進学。
大学時にはイギリスのサセックス大学へ1年間留学しました。
世界中のあらゆる地域から人が集まり、いろんな文化・バックグラウンドが集まる環境は自分にとってまさに「未知の環境」でした。
ただ、時間が経つにつれ、「未知への恐怖」から「未知への好奇心」に変わっていきました。 未知へと一歩踏み出すことで生まれる、様々なバックグラウンドを持った人とのかけがえのない出会い。
こうした出会いを通して、「実際に自分の目で見て、肌で感じてみたい」という思いがジワジワと強くなっていきました。

その思いを持って、留学後訪ねたバングラデシュ・中国・鹿児島。
バングラデシュでは、発展途上国の現状を肌で感じながらグラミン銀行で2ヶ月程お世話になりました。
中国では、約2ヶ月で10か所ほど転々としました。
尖閣諸島問題で日中周辺が騒がしいながらも現地で会う人々はとても友好的。
現地で日本語を教えたり、大学生と一晩中語りつくしたり、家に泊めてもらったり、と色々な方々にお世話になりました。
旅を通して、農村に住む少女の「実際に会う日本人はTV(反日ドラマ)で観る日本人より優しいのね」という言葉は今でも鮮明に覚えています。
鹿児島錦江町では、都会から離れた地域でも独自の魅力を発信する地域の人たちのところで2ヶ月程ファームステイを経験しました。食文化・言語・考え方など日本にいながらもとても新鮮な体験でした。

様々な場所で出会う人々。
実際に会い、話して、お互いに知ろうとすることがとても楽しく、そして大切だと感じています。
「知らんのになんでわかんの?」という素朴な疑問を常に持ちつつ、「社会に住む一人ひとりの人がお互いに関心をもって協調する」コミュニティの実現=「差別・偏見」の解決と信じ、目の前のことに日々精進してきます!!

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。