座右の銘
塞翁が馬
なぜこの仕事をするか
一人でも多くのスタッフの仕事がより核心的でワクワクしたものになるのをサポートし、付加価値向上につなげ、社会課題解決を加速させるため。
わたしの履歴書
1986年8月生まれ。鹿児島県出身。一人っ子。
幼少期、覚えていることがほとんどないですが、どこでも探検してしょっちゅう迷子になっていました。
親の仕事都合で、生まれの神奈川から母親の実家である鹿児島に引越し、幼稚園~高校の時期をそこで過ごしたので鹿児島出身です。小学低学年くらいはアクティブでしたが、4年頃からゲームボーイにはまり、6年頃にはインドア派になっていました。中学入学後、己を改造すべくサッカー同好会に入りましたが、走るのがきつくて、結局気が向いたときだけ練習に向かうように。
中学の先生に「お前の成績じゃ無理だ」といわれていた、当時そこそこ難しい高校になんとか合格しました。何をやっても三日坊主だった自分ががんばれた理由は、無理といわれてムキになったからです。高校でもサッカー部に入りましたが、やはり三日坊主でした。でもちょっとバンドやブレイクダンスをやってみたり、それなりに熱いものを持って高校を過ごせたと思います。
地元の知人・友人から韓国の大学の情報を得て、学費が安くて奨学金が出ること、言葉・文化の違う地でどこまでやれるか無理にでも挑戦できることが魅力に感じ、高校卒業後は韓国に行こうと決心し、周りの友人が入試勉強している傍ら、一人韓国語と英語の勉強をしていました。
一年程韓国の語学院でハングルを勉強した後、大学入学。昔からよく見ていた社会問題系映画でいつも感じていた「なぜ自分の生活と世界の人々の生活にこんなにギャップがあるのだろう」という疑問について学ぶべく、国際関係学を専攻しました。当時も日韓問題が連日報道されていましたが、大学でできた韓国の友人を通じ、国と国の関係と個人と個人の関係は、イコールではないということも学べました。
2年生が終わると休学し、半年程米国でホストファミリーをはしごするバックパッカーライフを満喫し、サバイバル英語を独自に習得。1年程は豪州を拠点に周辺の途上国でインフラ整備や教育プログラムを行うボランティア活動で、途上国の人々のリアルを肌で感じました。この頃の経験で自分の中にできた「選択肢が限られている環境で生きる人々のために働きたい」という軸は今もブレずにあり、その後の大学生活、社会人経験でもずっと大事にしています。また大学と休学中にできた様々な国籍の友人たちは、10年以上経った今も自分にとってこれ以上ない宝です。
大卒後帰国したころにはすでに就活戦争終了後で、数少ない選択肢の中からご縁のあった、韓国を仕入先に持つ専門商社に営業として入りました。ここで出会った方々からは本当に何度も迷惑をかけながらもご指導いただき、社会人としての基礎固めができたと思っています。2社目は、インドネシアを本拠地とする社会的企業の日本支部スタートアップの一端に関わらせて頂き、バックオフィス全般を経験。社会問題解決を具体的な戦略に落とし込めている事業に関われる日々が本当に夢のようでした。3社目は、会計の専門性を深めたい一心で、国内外中小企業を客先に持つ会計事務所に転職し、プロ中のプロの方ばかりがいる中で会計業務を一から叩き込んでいただきました。
今はこれまでの知見を総動員させて、冒頭の「なぜこの仕事をするのか」で記載した理由のとおり、人生をかけられる仕事と出会えた!という気持ちで、日々業務を行っております。