座右の銘

ハクナマタタ(心配ないさ)

なぜこの仕事をするか

バングラデシュ と日本の架け橋になり、両国の社会を、自分が生まれた時よりもはるかに良いものにすることが私の使命だと確信しているから。

わたしの履歴書

1996年、バングラデシュ人の父と日本人の母の間に生まれ、横浜にある母方の実家で、母、母方の祖父母に育てられました。 幼少期から英語が好きで、国際色豊かな高校に入学しましたが、自分がバングラデシュのルーツを持っているということは、ほとんど意識していませんでした。
父と疎遠だったこともあり、国名をなんとなく認知しているくらいで、私のアイデンティティは「日本人」というものだけでした。

しかし、大学進学を考え始めたころ、日本で唯一バングラデシュの公用語であるベンガル語を専攻できる大学があることを知り、「せっかく自分のルーツが2つあるのに、日本しか知らないで過ごす人生なんてもったいなすぎる!ベンガル語、バングラデシュのことを学んで、両国の架け橋になる!」と決意し、その大学に入学しました。その時、最初にその大学のことを教えてくれて、背中を押してくれた母にはとても感謝しています。

大学入学後、バングラデシュの文化、言語を学び、大学1年の夏休み、人生ではじめて訪れ、人々の温かさや熱気に溢れた街、深い歴史を持つ魅力的な文化を肌で感じたときの感動は今でも忘れられません。

その頃から、「貧困」や「安い人件費」などのイメージが先行しがちなバングラデシュですが、そのイメージを覆すようなバングラデシュの魅力を日本に伝えたいとも思うようになりました。大学時代には、バングラデシュと同じ文化圏であるインド・ベンガル地方の刺繡を扱うアパレルブランドでインターンをしたのですが、お客様イベントで刺繍の歴史の紹介、現地スタッフとのオンライン交流会を企画する中で、その国の文化を伝え、作り手と使う人の顔が見える透明性のある生産、消費の在り方のすばらしさを実感しました。

そして、新卒で入社した会社で、バングラデシュでのアパレル生産に関わる中で、生産国としてのバングラデシュをただ「安く、大量に生産するための国」という扱い方で、対等ではないビジネスの形、そして不透明な生産の在り方に強い違和感を感じ、これでは本当の意味で「両国の架け橋」になれていないと感じるようになりました。

そのように悩んでいる中で、JOGGOを知り、そのビジョン・ソーシャルコンセプトを知り、私の中で稲妻が走りました。 「これ(JOGGOのビジョン・ソーシャルコンセプト)がまさに、バングラデシュと日本の架け橋として、成し遂げたいことだ!」 そして、ご縁があり、念願だったJOGGOで働き始めることができました!まだまだ未熟ものですが、「バングラと日本の架け橋」としてだけでなく、JOGGOに関わる全ての人の「感動の架け橋」にもなれるように頑張っていきます!

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。