座右の銘

好きな事の為にする努力は好きな事が出来ない苦しみよりはるかにちっぽけである

メッセージ

 2011年 3月 11日。
福島県で生まれ育ち、高校生だった私にとって、現実から逃避したくなるような悲劇が起こりました。「東日本大震災」は、そこで生活するヒト・モノを全て奪い、まさに「絶望」という感情を初めて知りました。
そんな悲劇から5年が経とうとしている今、岩手や宮城は震災前より豊かなまちづくりを目指し歩み続けている反面、福島ではなかなか、そういった動きが見られない現状があります。何をやるにしても放射能の問題がつきまとい、例えばこれまで第一次産業が盛んであった地元いわき市では、自ら農業・漁業を閉じてしまう家庭が多くあります。私は、この現実をなんとしてでも変えたいと思っています。
ただ単に、住むための家や物資、お金を援助してもらうことだけが「復興」ではありません。いわき市で暮らす人々に、「いわき市民」で良かったという誇りを持ってもらうこと。そのために、自分の手でいわきブランドを作り、被災する前よりも明るいまちづくりをしていきたいです。

わたしの履歴書


 東日本大震災の津波で亡くなった方の多くは、指の爪が剥がれていたそうです。これは、最後まで「生きたい」という思いで何かにしがみついた結果、剥がれてしまったのではないか。高校3年生の時、ボランティアの最中に出会った自衛隊の方から、そんな話を聞きました。
 「うちのお父さんはもう漁業辞めたから、船を売っちゃったんだ」。友人はそう言っていました。3.11以降、放射能の風評被害によって魚がこれまでのように売れなくなってしまい、生活が厳しくなったことが理由だったそうです。
 ある老夫婦の自宅の復旧を手伝った時のことです。2人に代わって家を埋め尽くす土砂や木々をよけ、唯一残っていた1冊のアルバムを手渡しました。「ありがとう」と泣きながら感謝されて、ただモノを送るだけではなく、1人ひとりに寄り添うことが大切なんだと気付きました。地元のために何かしたいという気持ちで学校の合間に取り組んだボランティアは、いわき市の、被災地に暮らす人々の声を多く聞くチャンスでした。生かされた自分の命で、なんとしても地元・いわきに恩返ししたい。その思いが強くなった一方、じゃあ自分に何が出来るんだという葛藤が残りました。
 将来必ず、彼らが「いわき市民で良かった」と誇りを持って言ってもらえる状態をつくる。そう決めて、関東の大学に進学しました。



 大学に進学してからは、すぐに、「キズナ強化プロジェクト」という外務省のプロジェクトの日本代表として日本の被災地を支援してくれたインドに渡りました。そこではインドの学生に福島の状況を伝え、「防災」「減災」について意見交換を行いました。また、大学2年~3年の台湾留学で福島について聞かれたことや、合間を縫って何度も足を運んだ被災地のボランティア活動をきっかけに、「本当の復興とは何か」を考えるようになります。
 例えば宮城では、「震災前よりも良い街づくり」を目指して様々な企業や団体が中心となり、ポジティブに進んでいる印象を現地で受けました。ですが、いわき市の場合は、「まず元の生活を取り戻す」ことに重点が置かれているように思えたんです。何をすれば、「元に戻す」だけではなく、住んでいることに誇りを持てるまちをつくれるんだろうかと模索していました。
 転機は、大学4年の時に訪れました。「ミガキイチゴ」の生産とブランディングで宮城県山元町の活性化の原動力となった、岩佐さんとの出会いです。岩佐さんは、被災によって8割のイチゴ農家さんが生産をやめてしまった山元町で、農業とITを組み合わせ、イチゴを町のシンボルにまで育てました。活動で訪れた山元町でその話を聞いて、ビジネスで地域を活性化できると確信しました。
 夏に参加したバングラデシュ・グラミン銀行へのインターンシップでも新たな発見がありました。地域の課題を解決するには、その地域で暮らす人々の「共通課題認識」が1番大切になると気付きました。グラミン銀行の例でいうなら、子供を学校に行かせたい、貧困から抜け出したいという共通の思いを持つ母親たちが集まり、その課題を「自立的」に「継続」して解決しつつあります。
 「いわき市をより明るいまちにしたい」と思っている同世代の人は多くいます。しかし、それが大きな流れを生み、いわき市に変化が訪れているわけではありません。彼らと手を取り合い、ボランティアではなくビジネスでいわき市を盛り上げる、これが「本当の復興」の足掛かりになると考えています。



 「とりあえず就職して力をつけ、何年かしたらいわきに戻る」、それでは遅い、という焦りがありました。周りの流れとともに就活をして色々な企業を見ましたが、どこもCSRの一部やボランティアという形での関わり方をしていて、「それって儲かるの?」と言われたこともありました。ビジネスでいわき市の活性化に直接取り組むところもありませんでした。いくつか内定を頂いた企業もありましたが、「直接、早く、いわき市の活性化をしたい」という思いが強く、すべて辞退しました。
 そんな中、グラミン銀行のインターンシップでボーダレスの内定者に出会い、この会社を知りました。既に多くのソーシャルビジネスを展開していて、「利益が出た・増えたよりも、自分の助けたい人の生活をどれだけ変えることが出来たのか」を大切にしている。そこが、自分の成し遂げたい事業と被る部分で、ここなら自分の理想を現実にできるはずだと思いました。ボーダレスを選ばない理由はありませんでした。
 今、いわき市には仮設住宅が並び、大きなショッピングモールも建設中で、形上は以前のような暮らしに近づきつつあります。ですが、まちのあちこちに、仮設住宅の片隅で一人、新年を迎える人や、離れて暮らす家族と会う回数が減ってしまった人がいます。だからこそ、ビジネスというツールを使って多くの人の生活を巻き込み、この先も続くような「本当の復興」を目指したいんです。
 そのカギは、震災前にいわき市で盛んだった第一次産業の復活にあると思っています。これを6次産業化してあらたな魅力として発信する等、あらゆる手段を使って、いわき市に住む人が1人でも多く、「ここに生まれて良かった」、そう思えるようにしていきます。

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。