座右の銘

立志尚特異

メッセージ

国と国が得意な産業や技術を活かして抱えている問題解決が出来るように、自分が自分以外の人に対して何か出来る事は必ずあるはずだと思う。誰にでも出来る事もあるが、逆に私にしか出来ない事もきっとある。
あなたが笑顔で居続ける事で喜ぶ人が居るように、世界にはあなたの行動で笑顔になる人がたくさん居る。「やるか、やらないか。」ただ、それだけの事をボーダレス・ジャパンで実現していきます。

わたしの履歴書

1989年12月2日、福岡県北九州市生まれ。
父の仕事の都合で小学校低学年までは沖縄、宮崎、大分、熊本と九州内を転々とする生活を送っていました。数えてみると27歳で計12回引っ越していました!
小学校・中学校は野球部に所属していましたが、全く才能が無かったみたいで努力の甲斐なく常にベンチ要員でした。
しかし、厳しい練習の中で忍耐力が人一倍磨かれたように思います。特に印象深いのは夏合宿で足の爪が2枚剥げても炎天下の中を走り通した事です。
中学時代のスパルタトレーニングのお陰で高校から入部した陸上部ではキツイ練習も難なくこなし、1年生の時から表彰を受けるようになり、勝負に勝つ楽しみを覚えるようになりました。
ところが、高校1年生の冬に右足首を12針縫う大怪我をして以降、復帰に時間が掛かり過ぎ、思うような成果を上げられなくなりました。それでも諦めずに続けた結果、高校3年時に短距離の市大会で3位入賞する事が出来、自分にとって良い幕引きが出来たと思います。

高校卒業後は熊本を離れ、福岡の九州産業大学に入学しました。
大学ではボクシング部に所属し、順調なスタートを切れたように思えたのですが、環境や生活の変化からか入学早々に突如、精神的な変調をきたす事になります。当時は原因や病名も分からないし、人にも話したくないという変なプライドから自分で何とか考え方を変えて生活していましたが、今ではバイト仲間とボクシングという二つの存在が私の気を楽にさせてくれていたように思います。

当時のアルバイトで私はとても貴重な体験をする事になり、そして働く上でとても大切な事を学ばせて頂きました。
当時、私は夏季限定で海の中道サンシャインプールのプール監視員のアルバイトをしていました。
始めて約1ヶ月経った7月下旬でプールが大変混み合っている時期に当時3歳だった男の子が溺れ、溺死寸前のところを救急蘇生し、一命をとりとめる事ができました。自分自身も心の底から安堵した瞬間です。
人命救助との事で消防署や施設側などから感謝状などを頂きましたが、その後、男の子が普段通り生活できるようになった時にお母さんと一緒に会いに来てくれ、「助けてくれてありがとうございました」と涙ながらに言ってもらえた事が何より嬉しく、同時に「働く」事で一番大切なのはお客様に喜ばれたり、感謝されて初めてお金を頂ける責務を果たした事になるのだと感じました。
一人の男の子の命を救うという監視員としての責務を果たせた事は今でも働く上での土台であり、とても大切にしている事の一つです。

その後、大学2年生の頃に急に病が深刻な状態になり、電車に乗る事も出来なくなりました。症状を調べていくと「パニック障害」という病名に辿り着きました。それから医者の勧めで薬での治療を始めましたが、大好きなボクシングも出来ないまま悶々と過ごす日が続きました。
その時期に偶然TVで知ったのが途上国の様子やそこで貢献している日本人医師とその方の活動です。
「同じ地球に今日生きられるか分からず飢えている子供達」に衝撃を受けました。同時に私は何不自由なく暮らしているのに、こんな病のために、生きる事の難しさなど考えてしまう自分自身が情けなくなりました。
この体験をきっかけに「いつか体が自由に動けるようになった時には彼らに貢献したい」と強く望むようになり、これまでの行動に繋がっています。
それからは徐々に薬物療法が体に順応し始め、徐々に病も克服出来るようになり、続けていたボクシングの九州大会で勝利する事が出来、満足のいく結果を出す事ができました。

 

その後、就職活動を行う中で家具の仕事を通じてお客様に必要とされていて、尚且つ社会貢献出来るビジネスが出来ないかと考えて事業構想を練っていました。その構想を実現できそうな家具の企業を志望し入社しました。
志望とは違う配属先となりましたが、その前職では入社半年で店長職に、そして社内最年少で部長級の仕事をさせて頂きました。事業部の小売部門においてはブランディングの全てを任せて頂き、全国に10店舗構えられる規模への事業成長に貢献を致しました。とてもやりがいと責任ある仕事をさせて頂けた事に感謝しております。
福岡県で入社し、入社2年目に東京に転勤する際に薬の服用をやめました。急にやめたので強い副作用と離脱症状がありましたが、もう服用したくなかった為、そのまま生活を送ってきました。
それから入社5年が経過した際に、入社当時に描いた事業構想は実現出来なかったので、自分の力でやれるだけの事をやろうと思い、退職を決意します。
前職を通じて出会った素敵なお客様、そして良い仲間に恵まれ、良い上司と巡り会い、これまでの私が在るのは皆さんのお陰だと心から感謝しています。

退職を決意して以降、以前より熱望していたカンボジアでNPO活動に参加し現地の実情と自分が出来る事を模索し始めました。
自身が経験したパニック障害や精神的な不調が日本で深刻な状態にある事とカンボジアの低水準な有給雇用割合を解決出来るのがハーブだと考え、効果を確かめる為に、すぐに本場スリランカでハーブ治療を基にした施設に行き、実際の効果を体感しました。
NPOで解決出来る事業も魅力的でしたが、私はビジネスで社会が抱える課題を解決したいと思い、出資して頂ける企業を探していた際に妻が「ボーダレス・ジャパン」を見つけてくれました。
そして、『すぐに経営者になる」というフォームにエントリーし、採用して頂きました。
これまでの私の人生は、本当に今まで出会った皆様のお陰で成り立っていると改めて感じました。いま、この会社で目標に向けて行動出来ているのも周りで「社会問題の解決」を目指す熱い仲間が居るお陰です。
これからは目標を達成する為に日々邁進していきます!

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。