座右の銘

宇宙即変化。人生即主観。

なぜこの仕事をするか

家族の人生も自分の人生も大切にできる社会にしたい。家族と自分の幸せがトレードオフの関係では、とても苦しい思うからです。

わたしの履歴書

1989年生まれ。東京都の西の大都市「町田市」で出身で、3人兄弟の真ん中です。
祖父母が先祖代々続く呉服屋を営んでいたり大学で茶道の先生をしていたりと、純和風でしっとりとした感じの家系に生まれました。
がしかし、幼少期の僕はとんでもなく落ち着きがなく、小学校時代は授業中にいつも立ち歩いて教室から出て行ってしまうという席に座っていられない子でした。
中学校の頃からバスケに熱中し始め、相変わらず授業には参加できないものの、夢中になれるものを見つけたことで少しはまともに成長できたのかなと思っています。
そんな感じだったので、学校の成績がすこぶる悪く高校進学が危ぶまれるほどでしたが、何とか無事に進学してそこでもバスケに熱中していました。

バスケに熱中する裏側で、16歳の頃から難病の母の介護が始まります。最初は眩暈がひどい母の買い物や家事のサポートをする程度でした。
そこから徐々に母の病気は進行し、高校生の後半あたりから夜中に母をおぶってトイレに連れていくなど、サポートどころでは済まなくなっていきます。
そして高校3年生の冬、僕が大学入試を終えた直後に母の容体が悪化し、半分寝たきりに状態になってしまいました。

僕は大学の進学をやめて、母の介護に専念することに決めます。それからの1年間はまさに介護漬けの日々でした。
家に在宅用のナースコールを設置していたのですが、それが朝も夜中も鳴り響く。その度に母の様子を見に行って、体制を変えたり飲み物を飲ませたりしなければならない状況です。
一旦はすべてを諦めようとしましたが、他の家族の協力もあり、高校卒業から2年後になんとか大学に進学しました。

ところが大学時代も介護で忙しく、まともに通うことができません。
入学後1年間で取れた単位はたったの8単位。
大学に行くと友人から「なんで全然大学来ないの?」って聞かれます。
僕は「ずっとバイトしてる」と嘘をついていました。
その頃は「介護をしてる」だなんてとてもじゃないけど言えなかった。介護のことを話してもう誘われなくなるのが嫌だったし、その場の雰囲気を壊したくなかったからです。
なので周囲からは「大学に行くなんてくだらねーぜ!」みたいな考え方をする自由人だと思われていました(笑)実際はまったく逆なのですが。

そんな大学生活だったので、もちろん就職活動で苦労します。 サークルにも入っていなければ、バイトもほとんどしていない。もちろんボランティアやインターンの経験なんて皆無。なので僕がPRする内容は「介護と学生生活をいかに効率的に両立したか」でした(笑)
当然ながら面接官には響かず、「は?」みたいな顔をされたことを今でも覚えています。
理解されないどころか、ちょっと変なやつのような扱い。その時の違和感が「介護フレンドリー企業」を増やすという今の活動に繋がっているような気がします。

その後医療に対する想いを評価してくれる医療機器メーカーと出会い、入社が決まりました。京都の支社に配属され、機器の営業や取扱説明、手術の立会いなどの業務を3年間務めました。結構楽しく働いていたのですが、2017年末あたりに母の体調が悪化し、離れて生活することが難しくなって介護離職しました。

東京に戻ってきて株式会社エス・エム・エスという会社に転職します。
その頃から難病で苦しむ人たちの役に立てないかと思いはじめ、難病支援のNPOにボランティアとして参加します。自己紹介をしていたら、ある方から「宮崎さんはヤングケアラーだったんだね」と言われました。
「え!?なにそれ!?自分の過去にそんな名前がついてるの!?」と驚き、詳しく調べてみるとヤングケアラーと呼ばれる人が大勢いることを知ります。「自分だけじゃなかったんだ」というあの時の救われたような気持ちを今でも鮮明に覚えています。
すぐにヤングケアラーの専門家の先生を見つけて会いに行きました。その先生からヤングケアラーは高い生活能力や責任感などの力を身につけている傾向があると聞きます。
今までずっとコンプレックスだった自分の人生が肯定された気がして泣きそうになりました。その先生との出会いをきっかけに日本ケアラー連盟のヤングケアラープロジェクトに参加します。そこで高次機能障害や統合失調症、若年性アルツハイマーの親、きょうだいに重度の障がいがある、など様々なケースのヤングケアラーたちと出会います。
抱える課題はみんな似ている。であればヤングケアラーを助けるために事業を起こせないかと考えるようになりました。
ちょうどその頃、友人からソーシャルビジネスという言葉を聞き、調べる中でボーダレスを発見して起業家採用でエントリーしましたが、見事に落ちました!(笑)

なんにせよ今の自分では能力不足だと思い、社長の側近で働ける環境を求めて社員5人程度のスタートアップ企業に転職しました。それからしばらくして、ボーダレスアカデミー1期生の案内メールがボーダレスから届きます。その頃は引っ越ししたばかりで所持金がほとんどなかったのですが、このチャンスを逃すわけにはいかないと思い、借金をしてアカデミーに申し込みました(笑)

それがボーダレスとの出会いでした。
そこからはアカデミーで副社長の鈴木さんに、その後の起業準備では社長の田口さんに、丁寧かつアツく伴走していただき今に至ります。ありがとうございます!

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。