座右の銘
考えるよりやってみる行動力が人生を切り開く一歩となる
なぜこの仕事をするか
起業家が実現したい社会を、より早く実現できるように隣で伴走したいと思っています。 私自身もミャンマーで事業を立ち上げた経験から、起業家が前を向いて走れるようにバックアップ側をサポートしたいと思うようになりました。
わたしの履歴書
1990年12月3日 茨城県つくば市で産まれました。
両親にさわやかで、優しくて、可愛く育つようにと頭文字をとって「サヤカ」と名付けてもらいました。名前の由来通りの人間になれるように日々自分磨き中です。
両親のたくさんの愛と自然の中ですくすくと育てられた私は、中学校に上がるまで風邪をひいてもお構いなしに外で遊ぶとても活発でボーイッシュな子でした。休日は父に連れられて近所の川でザリガニ、カエル、ナマズそしてウナギを捕まえて夕飯のおかずにしていました。そのおかげでどこでも生きていけるような力がついたと思っています。決して食べる物に困っていたわけではありません!、、、と思いたいです。
中学、高校では周りの目ばかり気にして、自分のやりたいことや夢を誰にも言わず、ただ周りに合わせるだけの日々を過ごしていました。そんな私が今の私へと変わるきっかけとなった出来事が高校2年のときのカンボジアへの渡航です。
このカンボジアへの渡航で私は言葉に出来ないほどの衝撃を受けました。
食べるものがない。今日を生きることが出来るかもわからない。そんな私には到底考えられないような状況で生きている人がこの世界にたくさんいるということが、とてもショックでした。
そして疑問も出てきました。なぜ食べ物をつくっている農民が、食べ物がないことで困っているのか。
農民が農業で食べていけるようにし、食を確立したら病気で苦しむ人も減るのではないか。そう考え途上国の農業について学べる東京農業大学の国際農業開発学科に入学することを決めました。
しかし農業というのは最低1年という期間がないと、土作りから収穫まですることができない!農業実習をしただけで農業を知った気になってはいけない!と思い大学を1年間休学し何回か渡航したことのあったインドで1年間持続可能な農業について学ぶことにしました。
ボーダレス・ジャパンでは、途上国の農民が農業で食べていけるようなシステムをソーシャルビジネスという形で持続的にアプローチしていきたいと思い入社を決意しました。
入社後はAMOMA
に配属され、産婦人科での営業やWEBマーケティング、同梱物の作成などを担当しました。
その後AMOMAのハーブティ―の原料である無農薬ハーブを栽培する事業を、ミャンマーで立ち上げました。ミャンマーでは自社農園をつくり、加工工場を建設し、日本へハーブを輸出するということを、仲間と共にゼロから1を創り上げました。
日本人が1人もいない中ミャンマーで事業を立ち上げることは困難の連続でしたが、ハーブを栽培してくれる農家さんたちや仲間がいたから実現できたと思っています。
帰国後はこのミャンマーでの起業の経験から、社会起業家が実現したい社会を、より早く達成できるように隣でサポートする側に立ちたいと思い、バックアップスタジオで働いています。
社会起業家の熱い想いを聞いて、より早く社会課題を解決できるよう、これからもメンバーの想いに寄り添って自分にできることをやっていきたいと思います。