座右の銘

Breath it all in. Love it all out.

なぜこの仕事をするか

世界中から集まった生い立ちも言葉も異なる人たちが「一つ屋根の下、一つの家族になる」そんな素敵な場所をつくりたい。様々な価値観を持った入居者さんとの出会いが、私がこの仕事を続けるパワーをくれます。

わたしの履歴書

1994年9月生まれ、北海道の札幌育ち。
私は「なし(梨)」の子、姉は「もも(桃)」の子、北海道を代表する「果物」姉妹です。
父の育った江別のたくましいおばあちゃん、母の育った釧路の優しいおじいちゃんおばあちゃん、父母姉によって元気に育てられました。

小学生のとき、道端で野良犬を見かけたことをきっかけに、動物の殺処分についての現状を知りました。「死を待つ動物たちを少しでも多く救いたい」と人生の使命を見つけるものの、その使命と「仕事」との接点が見つかりませんでした。なので私は、将来自分の好きな仕事をして、お金を貯め、そのお金で動物たちを救おうと考えました。

中学生になると、洋画や洋楽を好きになり海外へと目が向き始めます。その後、家族で行ったイタリア旅行が、海外への憧れと観光学への興味を加速させ、高校2年生の時に「オーストラリアへの大学進学」を決意しました。背中を押してくれた母にとても感謝しています。

高校卒業後渡ったオーストラリアのシドニーでは、暖かい気候と温かい人々に恵まれました。お世話になったホストマザーと愛犬のクローイーまた、大学の友人たちは私にとって家族同然です。
大学では、「Japanese Association at Macquarie」という日本文化サークルの運営に携わっていました。年齢や国籍、考え方の異なる友人たちと、1つのことに取り組む難しさ、そしてやりがいを同時に感じました。私の悪いところも良いところもひっくるめて、ありままの姿が魅力的だと言ってくれる友人たちとの出会いが、「人と人とがお互いに歩み寄る」大切さを気づかしてくれました。

大学での貴重な出会いはもう1つありました。「ソーシャルマーケティング」という考え方との出会いです。ビジネスで社会問題を解決する、それこそ私がずっと探し続けていた「動物たちを救うこと」と「仕事」との交わりでした。

今私がこうしてボーダレス・ジャパンという素晴らしいファミリーの一員になれたのは、オーストラリアで出会った全ての人々と大学での新しい学び、そして私の挑戦を日本から支えてくれた家族や友人たちのおかげだと思います。オーストラリアへの進学は、決して簡単な道のりではありませんでしたが、そこに無駄な出会いや経験は1つたりともなかったと胸を張って言えます。

新しい人との出会いや新しいことへの挑戦は、決して無駄にはなりません。
新しいことはうまくいく方が少ないですが、そこから何を学んだかでその後の人生が全く違うものになります。合う人も合わない人も、良いことも悪いことも、全て深呼吸するようにまずは受け入れて、吐き出すときにはそこから「意味」を見つけ出す。これができれば、毎日の小さな出会いが、しなければよかったと思う失敗や後悔が、「自分に何かを教えてくれている」と自分の成長の種になっていると気づきます。
これからも、人との出会いや新しい経験に積極的になっていきたいと思っています。

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。