座右の銘

本気で泣いて笑って悩んで生きて 今がある 胸をはれる

なぜこの仕事をするか

様々な社会問題で苦しんでいる人たちの〝ため〟ではなく、彼らと〝とも〟に成長していける、繋がっていける場がここにはあるから。

わたしの履歴書

1996年12月9日、2人姉妹の長女として、横浜で生まれました。
小さい頃から旅好きな母の影響で、よくいろんな所に連れていってもらっていました。どこにいってもすぐに誰とでも仲良くなるような、迷子になってもにこにことその辺のおばさんにアイスを奢ってもらっていたくらい、社交的な子どもだったそうです。

小3の時、自然の中で育って欲しいという両親の思いから、長野県の桜の名所である高遠町に、仕事のある父を横浜に残し、母と妹の3人で山村留学をしました。
そこには外国人や不登校、摂食障害など様々な問題を抱えた子どもや大人がいて、大家族のような共同生活の日々を過ごしました。皆で食べるお米や野菜を作ったり、鶏を自分たちで絞めて食べたり、自然からの恵み、命を頂くということ、食べ物に感謝するということ、当たり前だけどなかなか普通では体験できないことを沢山経験しました。
またこの年に、タイの孤児が住んでいる家に行きました。言葉は分からなくても通じ合えて仲良くなれる、その時はただすごく楽しかったという思いでしたが、今思えばそこでの経験が、いまの自分が国際協力に興味を持ったきっかけだったんだなと感じます。

中学では3年間、バレーボールに明け暮れていました。バレーは1番好きなスポーツです。

高校では、山形にある全校生徒70人くらいの小さな全寮制の高校に行きました。
「読むべきものは聖書 学ぶべきものは天然 為すべきことは労働」という事を大事にしていたので、毎日朝拝や夕拝があったり、自分たちで炊事をしたり、様々なことを自分たちで行いながら寮生活を過ごしていました。スポーツ系の部活がなかったので、畜産や園芸、お菓子パンを作る趣味パン部やハンドベルなど少し変わった部活をしていました。
本当に濃い3年間で、自分と向き合うこと、他者と本気で向き合い、時にぶつかり合うこと、すごく大事なことを学んだ高校生活でした。

ずーっとどこかに常にあった、この同じ時代に、世界では様々な問題で苦しんでいる人がいるけど自分に出来ることはないのか、もっと学んでみたいという思いから大学では国際社会学科に入りました。
大学生活では大学2年生の20歳の誕生日に、国際NGOのピースボートに乗って南半球を中心に地球一周をしました。この船で色んな生き方をしている人たちに出会い、人生自分がわくわくや楽しさを感じる事をしていけばいいんだなと感じさせられました。地球の美しさを感じ、世界が一気に近くなって今まで他人事だったことが自分ごとになりました。色んな国の働く子どもたちに出逢いました。そこですごく印象的だったのが、どんな状況にいても、みんなとても素敵な笑顔をしていたということです。やっぱり笑顔って元気をもらえるし幸せになる、だから私も笑顔でいたいと改めて思えました。

世界中に溢れる沢山の社会問題を知るたびに、その問題を知ったけど、じゃあ今の自分には何ができるのかという大きな壁にいつもぶつかって、何もできない自分に悔しさを感じていました。
そんな中、たまたまボーダレス・ジャパンを知り、こちらからの一方的な支援ではなく、持続可能な方法でお互いに協力し合う関係を作りながら働くことができることに魅力を感じました。
社会を変えるってとても広くて大きくて難しい問題で、でもそれを信じて、それに向かって本気で働いている人たちがいること、そんな人たちと今一緒に働けることが嬉しいです。これからも自分がわくわくや楽しさを感じる事を大事にしながら、もっともっと自分を成長させていきたいです。世界中の全ての人が幸せを感じ、笑顔あふれる社会を目指して。

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。