座右の銘

志あるところに道は開かれ、求めるところに師は現れる

なぜこの仕事をするか

家庭を持ったことにより価値観が大きく変わりました。何か 父親として 人として この子たちの為にできることはないか?と考えていた時にPOST&POST出会いました。子供たちの未来の為になるこの事業を日本中に広げたい!

わたしの履歴書

北海道上川郡清水町生まれ 雄大な大地と家の近所が牛舎という環境で、 活発で行動派の母と沈着冷静で理論派の父 3人兄弟の真ん中、姉にも可愛がられ、弟を従えて、実にわがままに育ったと思います。

小さな頃は体があまり丈夫ではなく、町に一つしかない病院ではかなりの常連でした。

小学校1年生の時に参加したマラソン大会、スタートして間もなく熱中症でリタイア。これに見かねた母が猛特訓を開始、毎朝一緒にランニングを約3年間続けました。母はこれがきっかけで走る喜びの虜に、還暦を過ぎてもフルマラソンに挑戦する姿勢は尊敬しています。

おかげで病弱だったのがウソみたいに治り、運動会、マラソン大会では常に上位争いをしていました。

クラスでも明るく若干問題児な小学校生活 この時出合ったのがバスケットボール。なかなか上手にならず常に皆の後ろを付いていく形でしたが、没頭するととことんやり続ける性格。その後11年間やり続け、私の人生に大きな影響となりました。

活発で明るく、運動神経もそこそこ。しかし勉強がもっぱらの苦手で中学に入りそれが露呈されました。成績表では体育以外はほとんど2 or 3、勉強しろ、と言われると反発。友達とつるんで当時流行っていた尾崎豊を聴き街をふらつく、それが格好良いと思い込んでいました。

今でもこの時の自分に勉強することの大切さを真剣に伝えたい!と思っています。

そんな時でもバスケットは一生懸命やっており、そのおかげで市内の高校よりお声がかかり、なんとか推薦で高校に通うことができました。

人よりも早めに反抗期をむかえたため治るのも早く、高校生活では家が目と鼻の先にあったこともあり、朝早くから 個人練習→授業→部活→居残り練習 この時流行っていた NBAやスラムダンク に感化されたこともありバスケに没頭する毎日でした

どうせなら高みを目指したい、という考えだけで道内で一番バスケットが強い札幌の専門学校へ入学。たまたま豊作年、だったこともあり強豪校でエース級の仲間たちとバスケットをすることができ、全国準優勝までいくことができました。(ほとんどベンチでしたが)

これまで親にわがままを言い続け、スネをかじりたいだけかじり続け生きてきたことに対し 本当にこのままで良いのか?と真剣に考え、いつまでも親元にいては自立ができない、と判断。

もともとシューズが好きだったこともありスポーツシューズの小売り会社『STEP』に就職、東京で社会人生活がスタートしました。

バリバリの体育会系気質が性に合い、上司の方や先輩に可愛がられ入社1年で店長になりましたが、責任あるポジションになって初めて小売業の難しさを痛感しました。

この頃スニーカー業界は 爆発的に売れたナイキブームが終息を迎えつつも市場はオーバーストア、小売店同士はもちろんのこと、ナイキショップをはじめとするメーカー直営店も進出、お客様の取り合いで売り上げ分母は下がる一方でした。

そんな中、今後のシューズ業界では小売り会社でも「自社で作って自社で販売する」という形が必要、ということで新事業部を設立、一号店の店長として立ち上げ当初より関わり ブランドづくりから現場での演出、スタッフ育成まで深く学ぶことができ、幸い良い人材にも恵まれ徐々に売り上げを伸ばせるようになりました。

少し自慢話になりますが、店舗が増えていくにつれて不採算店舗も増加、その店舗に異動し黒字化する、ことをやり続けた為私のことを『再生屋』と呼ぶメンバーもいました。

やがて年齢も30代半ば、結婚もして子供を授かり大切な家族ができました。

18年やってきたスニーカー業界はとてもやりがいがあり楽しいものでしたが、私のなかで少しずつ価値観が変わっていき、子供の為に何かできることはないのか?と探していた矢先、知り合いのつてでPOST&POSTの存在を知り、この仕事ならば今まで培ってきたことが最大限に活かすことができ、なおかつ子供達やその未来の為に役立てる!と思い転職を決意しました。

POST&POSTで働く素晴らしいメンバーに出会い、楽しく仕事ができる環境にただ感謝する毎日です。

この事業の更なる発展の為に全力で取り組んでいきますのでよろしくお願いいたします!

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。