座右の銘

当たり前を疑う

なぜこの仕事をするか

いかなる境遇でもやりがいを持って働ける、ありのままで楽しく生きられる環境や人と若者を繋げていくため。

わたしの履歴書

私は環境問題や人権問題に関心が強い子どもでした。国際協力に興味を持つ大きなきっかけとなったのは、「世界がもし100人の村だったら」というドキュメンタリー番組です。 当時中学生だった自分と歳の変わらない人達の生活が、生まれた国や地域が違うだけでこんなにも違うのかと衝撃を受けました。日本という国に日本人として生まれ、衣食住に困ったことのない私は「世界で最も恵まれた人」に分類されると知りました。 正義感が強く理不尽なことに人一倍敏感だった当時の私は、世の中に対して憤りを覚えました。

学生時代の私は勉強も運動も人並みには出来たものの、これといって秀でたものがないことがコンプレックスでした。自分が凡人であることを自覚しながらも、死ぬまでに世の中に少しでも良い変化を起こしたいという夢を抱いていました。 貧困や紛争に苦しむ人達を減らしたいという思いと同時に、経済的には恵まれていないとされる地域の子ども達の笑顔はとても眩しく、それは何故なのか知りたい、そんな好奇心もありました。 しかし大学で国際関係や国際協力、国際ボランティアについて学んでいく中で、知れば知るほど、部外者が簡単に手出ししてはいけないのだと思うようになりました。石橋を叩きすぎて渡る前に壊してしまうタイプの私は、そんな理由から学生NGOやボランティアに参加することさえ出来ませんでした。

とにかく途上国を旅しよう!と決意して大学を卒業したにも拘らず、資金稼ぎの為に始めた仕事にのめり込み、気付けば4年以上の月日が流れていました。原点回帰しようと応募した青年海外協力隊には二度も落選しました。当時の自分の能力や経験値を考えると当然の結果ですが、「私はボランティアさえさせてもらえない価値のない人間なんだ」と落ち込みました。

その後、紆余曲折ありオーストラリアに2年間滞在しましたが、その頃にはもう国際協力に携わりたいという思いも薄れ、完全に人生の迷子になっていました。それでも異文化の中でマイノリティーとして生活したことは、かけがえのない経験になったと思います。その後はカナダとニュージーランドでの生活を計画していましたが、出発を目前にしてコロナにより全てが白紙になり、改めて生き方を考え直す機会となりました。 

昔から日本社会に生き辛さを感じていた私ですが、オーストラリアから帰国後その感覚はより強くなっていました。世界的パンデミックをきっかけにあらゆる社会問題が浮き彫りになる中、ネガティブスパイラルに陥って絶望を抱いた時期もありました。 しかし、より多くの人が生きやすい社会を作るために、残りの人生はやれるだけのことをやってみよう!と思うようになった頃、縁あってボーダレスキャリアに加わることができました。これからはどんな境遇でも誰もが働きやすい、ありのままで生きやすい社会の実現の為に注力していきたいです。

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。