座右の銘

人生は出会いと挑戦、そして、楽しんでなんぼ

なぜこの仕事をするか

座右の銘に書いてあるとおり、「人生は楽しんでなんぼ」だと思っています。では、どうしたら、僕自身が楽しんで人生を過ごせるのか?それを考えて考えて考え尽くした結果が、今やっている仕事になります。

わたしの履歴書

1987年12月24日愛媛県今治市生まれ。 今治で産声をあげたのですが、産まれてすぐに岐阜県大垣市に移動。その後、高校卒業までは大垣にて育ちました。 子どもの頃(小学校〜中学校)は、運動神経抜群、頭脳明晰、リーダーをやらせれば必ず組織が活性化(運動会で応援優勝するとか、生徒集会が面白くなるとか、万年地区予選敗退だった野球チームを県大会まで導くとか)・・・と言うと、優等生だったのか!と勘違いされるかもしれませんが、そういうわけでもなく、お漏らしをする、いじめる/いじめられる、何かあると直ぐ泣く、友達と呼べる友達もいない、お祭りとか人混みが嫌いと、今振り返ると感受性豊かに過ごしていた幼少期だったように思います。その感受性の豊かさがアフリカの僻地まで僕を来させる要因の一つになったのかもしれません。 次は、高校生。 高校時代を一言で表すと「野球という泥沼でもがき苦しむ日々」。多感な幼少期から一転、苦しみ苦しみ苦しみ抜いた時期でした。 前述の通り、小学〜中学時代は、運動神経抜群だと思っていたのですが、高校野球の世界に飛び込み、世の中にはこんな上手いやつがゴロゴロいるのかと衝撃を受けたのが事の始まり。自分の野球の下手さ加減に呆れつつ、中々上手くならないことにイライラしつつ、極め付けは、「イップス」と呼ばれるボールを投げるのが怖くなる精神的な病に罹ってしまい・・・本当に辛く、今でもはっきりと「人生で一番辛い時期だった」と言えるくらい辛い時期を過ごしました。最終的にはそれも克服し、最後の夏の大会では、チームで一番の打率を残すくらいの活躍はするのですが、この辛い時期の出来事が今の僕の心の強さを形作ったように思います。だからこそ、今でも事業が行き詰まっても、前を向いて一歩ずつ前に歩んでいけるのかなと。 さて、大学生。 大学時代を一言で表すと「社会貢献意識の芽生え」。中国語を一言も話せないのに中国の大学入学を目指し、北京外国語大学に入学。中国滞在中に「社会貢献」という僕の人生を大きく変えるキーワードに出会いました。どんな活動をしていたかについては、こちらの記事をご参照いただければと思うのですが、このボランティアを通して経験した数々のことが、今の僕の考え方の礎になっていると思います。 大学を卒業したのは2011年。そう、震災があった年です。その年に、農林中央金庫という金融機関で社会人になりました。当時の人事部の方に「新入社員の研修を全て東北でのボランティアに切り替えましょう!」と訴えたら、見事に怒られたことが一番の思い出です。笑 このときに同期として出会ったのがAlphajiriの代表である薬師川。同期の中でも異彩を放っており、僕の中で彼女は、同期の変人でトップを争うくらいの人間でした。それが今では事業を共に前へ前へ進めていく大切なパートナーとなっているのですから、人生は不思議なものです。 と言いつつも、同期のときから意気投合していたわけではなく、薬師川がケニアで起業したことをfacebookで知り、その際に連絡したのが、出会ってから3回目くらいの会話でした。その3回目くらいの会話で、日本から手伝えることを手伝わせて欲しい!と直訴。その後、日本で働きながら事業のお手伝いをしていたのですが、薬師川からの「現場も知らないくせに偉そうなことを言うな!」というきつ〜い一言をきっかけに(30歳までに海外で自分の志を遂げるようなことを始める!と決めていたこともあり)、Alphajiriへの参画を決意しました。 Alphajiriに参画後の僕の一番の役割は資金調達。いろんな会社にお声がけしながら、中々色よい返事がもらえない中で、いきなり社長が直接話したい!と言ってきてくれた会社がボーダレス・ジャパンでした。何度かお話する中で、ボーダレスグループの考え方に物凄く共感し、(多少の紆余曲折はありながらも)2017年7月にグループの一員になることが決まり、今に至ります。 とにかく、まだまだこれからです。事業がどれだけ大きくなったとしても、まだまだこれからです、とか言ってそうですが、Alphajiriのビジョンである「すべての人が、自分の意志で、自分の人生を選び取れる社会をつくる」を達成するまで、愚直に、泥臭く、そして楽しく!一歩一歩前に進んでいこうと思います。

※入社時の内容のため所属が異なる場合があります。